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休み下手

以前から何度か書いているが、どうも休むのが下手で困る。
子供は自分にとって面白いと思えることがあると、本当に『我を忘れて』がーっと集中して夢中で楽しむ。そういう時は中断させるのが難しい。なかなかいう事を聞かないものだ。
けれど還暦の足音を聞くようになっても、まだこんな幼い子供のような自分が居る事に気付くのは少々気恥ずかしいし、ちょっと情けない。
結局体調を崩して周囲に迷惑をかけることになり、その度に『ああ、またやってしまった』と嘆くのだが、回復するとまたやってしまう。
文字通り『懲りない』人間である。

一昨日は定期演奏会に向けての、楽団のパートレッスンだった。昼間は普通に仕事をこなし、夫の夕飯の用意をして出かける。仕事から帰宅するのは二時を回るから、昼食はいつも遅めだ。だから夕飯は入らない。結局おにぎり一つを口に放り込んで出かけた。
先生の熱心なレッスンのお陰で疑問に思っていたことがいくつも解決し、行って良かったと思えたのだが、帰宅すると十時を過ぎていた。そこから夫の夕飯の片づけをし、風呂に入って十二時前に就寝。速攻で眠りに落ちた。
昨日も普通に出勤日だった。またどういう訳か二月なのに忙しい日で、滅多に来ない『大物』(値がさがはる、手間のかかる商品のこと。ランドセルやブランド物)がいくつもやってきて、Dさんと二人てんやわんや状態だった。昼までにその日の売り上げ目標を軽く達成してしまったらしい。午後から出勤したYさんがビックリしつつ喜んでいた。
クタクタで帰宅し、夫の昼食の片づけをしながら当日と翌日の夕飯を作る。我が家は土日に私の楽団の練習に行く時は、土曜日がカレー、日曜日がおでん(夏は冷しゃぶサラダ)である。そんなに大仰なメニューではないが、それでも準備は必要だ。せこせこ用意して、三十分ほどで終了する。
夫の風呂の用意をすれば、もう練習に出かける時間だ。やはりおにぎり一個で済ませて会場に向かう。
練習は充実していて、疲れていても行けばやはり忘れてしまう。
帰宅は前日と同じく、十時を回ってしまった。あまりにもお腹が空いていたので、この日は少しお腹に入れてから片付けし、就寝した。

そして今日も朝から終日練習である。
どうなってるんや、と自分でも思う。
以前は夫も度々
「お前、無理すんな。バッタリいくぞ」
と心配してくれていたが、最近は
「お前はなんぼ言うても練習行くもんな。いっぺん倒れろ。でないと分からんやろ」
と呆れている。

仕事では自分に鞭打つ癖はほぼ完全になくなった。『待て待て、これはちょっとやり過ぎだぞ』と思うと、キュッとブレーキをかけることが出来るようになってきた。
すると急に体調を崩したりすることが目に見えて減ってきた。現在私は職場では『丈夫な人』認定されている。体調不良で休むことがほぼないからだ。
しかし、こと趣味になると話は別である。ついつい、夢中で『遊んで』しまう。
大人でも夢中で遊べる何かがあるのは良いことだ。だけど程度問題である。疲れたら休もうぜ、とは思う。だけどやっぱり吹きたい気持ちが勝ってしまう。
それなら家事を手抜きすれば良いじゃないか、と思う。夫はそんなことでブウブウ言う人ではない。夕飯を既製品に頼っても良い。なのに私はそれが出来ない。自分にそれを許可出来ない。
心のどこかに『遊びに行くなら、家事をキチンとやってからでないと』という、一種の強迫観念がある。
ここ数年でこの『キチンと』の基準は随分緩くなってきた。だから昔に比べると楽にはなった。でもやっぱり何もかも放置して『遊びに』出かけるのには罪悪感を感じてしまう。

思うに、私は先々の心配や手間を出来るだけなくしておかないと、安心できない人間なのだ。やっぱり『段取り』しないと落ち着かないのである。
つまり、楽しむことに自分で交換条件を勝手にセットして、一生懸命自分の首を絞めている。でも楽しむことを諦めるのは端から頭にない。
私の『楽しむための条件』の規制緩和は、当分先の話になりそうである。こういう性質は急には改善出来ないだろう。自分という駄々っ子の成長を信じて見守るしかない。

さ、朝食を作って洗濯するとするか。