見出し画像

よくできました

先日姑の家に行った時のことである。
姑が老健施設から持ち帰った荷物は、病院に居た時ほどではなかったが、まあまあの量があった。靴下、肌着、薬、様々な書類…必要なものとそうでないものが混在している。なかなか大変な作業であるが、姉と二人、せっせと仕分けに精を出す。
要不要は姑の判断によるから、一つ一つ取り出しては聞くことになる。
「お母ちゃん、これ要るんか?」
「お母さん、これ捨てるんですよね?」
姉と私がかわるがわる質問するのに対し、姑はいちいち
「それはな、要る」
「はいはい、捨てといて」
とゆったりと座ったまま嬉しそうに答えている。まるでメイドが二人、女王様にかしづいているようである。

荷物は思いのほか細かいし、数が多い。次第に姉がイライラしだした。無理もない。朝早くから姑の退所に付き添ってきたのだ。疲れもするだろう。
「お母ちゃん、これ何?もうええな?処分するで?」
姉がそう言って荷物の中から荒っぽく引っぱり出したのは、淡いグリーンのファイルだった。老健施設でリハビリの為に作った作品が入れてあるようだ。綺麗な折り紙が間からのぞいている。
「老稚園でチイチイパッパするなんて、ボケた人のすることや。折り紙なんて子供のすること、私はせえへん」
と頑なに施設行きを拒んでいた姑だったが、リハビリと言われればやらざるを得なかったのかな、と思って私はその作品と思しきものを見た。

その時、姑が座っていた椅子から腰をわずかに浮かせた。
「それは捨てんといて!捨てたらアカン!大事なもんや!」
必死の形相でそう言って姉からファイルをひったくるようにして奪うと、自分の胸に抱きかかえた。
「それ、なんやのん?」
姉が手を止めて呆れたように聞くと、姑は
「試験の結果なんや」
と胸に抱えたまま、大事そうにそのファイルを撫でた。

施設では定期的に認知症予防として、簡単な計算問題を「試験」として行っていたそうだ。姑はいつも満点だったらしい。施設の職員から
「いつも満点なんて、凄いですねえ!認知症なんて当分心配ありませんね!」
と大変褒められたのだ、と嬉しそうに話してくれた。
「はいはい、そんな大事なテストやったら、ご自分でちゃんと持っといて下さい」
姉はバカバカしそうにため息交じりにそう言うと、作業の続きを始めた。そんな姉のことなど一向にかまう様子もなく、姑はにこやかにそのファイルを抱きしめていた。

姑は三人姉妹の真ん中っ子である。四歳の時に父親を戦争で亡くしている。幼かった姑は、隊から一時帰宅した父親の軍服姿が怖く、呼ばれてもカーテンの陰に隠れて出て行かなかったそうだ。それが結局父親と過ごした最期になったという。バカやったねえ、と笑いながら話してくれたことがある。
父親を亡くしてからは母親を支えて一生懸命家事を手伝った、と言っていた。当時の話は、同じく戦争で父を亡くした私の父親の話と通ずるところが沢山ある。
父も姑も親に精神的余裕がなかったせいか、あまり褒められずに育っている。警戒心が強かったせいもあるだろうが、甘やかしてもらうこともそうそうなかったようだ。
そのまま、姑は人の親になり、子育てを卒業して、ひ孫の顔まで見る年齢になった。それでもなお褒めて欲しかった子供時代の心は、姑の中にしぶとく残っているのだなあ、と思う。
人間は生涯の内、褒められるべき量が決まっていて、それが満たされるまで欲し続けるのかも知れない。

帰って夫に姑の様子を報告すると、
「しゃあないおばあやなあ」
と珍しく寂しそうに笑った。
「ええやんか、張り合いがでてウキウキするのは健康長寿の秘訣や」
と言ったら、
「そうかもなあ」
と面倒くさそうに言って、夫はゴロンと横になってしまった。
夫にとってはいつまでも母親。褒められた「試験」を大事に抱える母親はあまりに幼くて、想像するのがちょっと辛かったのかも知れない。

姑は子供時代の「褒められ足りない」分を、今補充している最中なのだと思う。
今からでもいっぱい褒められて、長生きして欲しい。