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取り敢えずバター醤油

今日の夕飯は豚肉のトマト煮にした。
私が持っているタサン志麻さん著のレシピ本の中のメニューで、家族に大好評の一品である。特別な材料を使わず、たいして難しくなく手間がかからない(志麻さんのメニューはどれもそう)のにとても美味しく出来るので、私も大変重宝しているメニューの一つだ。
少し多めに作って、在宅する日の夫の昼食用に置いておけるのも良い。

『おふくろの味』を懐かしむことはあっても、自分の匙加減で再現することの出来ない私としては、こういった料理本や巷にあふれるレシピサイトは大変有難い。
頭の中で料理の手順を上手く組み立てられない上に、何をどれくらい入れればどんな味になるかを全く想像できないときているから、調味料の量や調理の順序が親切に書いてあるこういうものは、私にとってなくてはならない存在になっているのだ。

それでも身体が疲れている時や、忙しかった日の夕飯などは、本を開いたり検索する手間すら億劫になることもある。そういう時に私が多用するのが『バター醤油』での味付けである。
我が家の台所に醤油がなかった日はないし、冷蔵庫にバターがなかった日もない。つまりいつでも絶対に作れる味付けだ。
バター醤油は味付けする対象を選ばない。ほうれん草でも、エリンギでも、ジャガイモでも、鮭でも、鶏モモでも、この味付けにすれば合う。
我が家では確実にウケる。ビールのお供にも絶好の味付けだと思う。
塩と脂の味。ポテトチップスと同じ原理だ。好みの差はあるけれど、この取り合わせが嫌いな人は殆ど居ないのではあるまいか。
ここに焦げた醤油の香ばしい香りが加わるのだから、食欲をそそらない筈がない。

更にバター醤油には『何も考えず適当に量を入れても、それなりに美味しくなる』という素晴らしいメリットがある。
つまり一生懸命レシピ本を見たり、途中でこわごわ味見をしたりして、美味しいかどうかと頭を巡らさなくとも、極めていい加減にバコッ、ジャッと入れれば良いだけなのだ。オマケに家族は絶対に喜んでくれるという、嬉しい結果もついてくる。
味加減及びメニューを考えるのが面倒くさい私にこれほどピッタリなメニューはない。

夫は魚全般があまり好きではない。
骨を取るのが超絶下手なので面倒くさいのと、魚はボリュームがない為、『腹に溜まらへん』ということらしい。
しかし毎日肉ばかりでは飽きるし、栄養的にもどうかと思うので、私はなるべく肉と魚を交互に出すようにしている。
魚だとフライか刺身ならまあなんとか食べようとするが、ムニエルなどは嫌がる傾向にある。残しはしないが、食卓でのテンションが低い。
で、こんな時はバター醤油の出番になる。
鮭、タラなどの淡白な魚はバター醤油が良く合う。夫もこれなら比較的喜んで食べている。
魚臭さが気になるようなら、レモン汁や白ワインを足してみても良い。

結婚当初は主菜、副菜、副々菜、味噌汁、という具合に夕飯を用意していたのだが、
「オレはそんなに食わん。一品減らしてくれ」
と夫に言われてから、我が家の夕飯は主菜、副菜、汁物、である。
今日の副菜はエリンギのバター醤油炒めにした。
キノコ類は炒めすぎないのが美味しい。歯ごたえのあるエリンギに、バター醤油が良く合う。
「美味しいねえ」
夫と二人、笑顔になる。

美味しくて健康に良い一品を毎日毎日考えて作るのは、料理が好きでないものにとってはかなりの苦行である。しかし作らねば家族の健康は保たれない。
この苦行をちょっとでも楽に、軽い気分で続けるには、力を入れ過ぎないことが大切だ。
力むとしんどくなる。恨まなくても良い人を恨んでしまったりして、心が疲れ果ててしまう。折角お腹が満たされても、心がそれでは折角の料理が台無しになってしまう。作る方も楽に、美味しいと感じられる心で作らないと。
私はこれからも困ったら、取り敢えずバター醤油でいこうと思う。












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