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年に一度あるかないかの欲望

肉が食べたい。唐突にそう思った。
私は普段、あまり肉を食べたがらない人間である。別に普通に好きだけど、物凄く欲しいとは思わない。どちらかというと焼き魚や刺身といった魚のおかずに食欲をそそられる。海沿いの街で育ったせいなのか、腸が弱くて脂の多い肉を食べるといつもお腹を壊していたからなのか、そこらへんは曖昧である。
先週の土曜日から夫が北海道に出かけている間、私は魚ばかり食べていた。夫は魚をあまり好まない人なので、ウチのおかずは肉が七割、魚が三割、といったところだ。なので、これ幸いと普段の魚不足を補うべく、毎日毎日「海の幸サラダ」や、「ミニてまり寿司」など、魚介類メインの夕飯に一人で舌鼓を打っていた。

ところが翌週の水曜日、夫から連絡が入った。
「台風がフェリーの航路を直撃する。欠航して帰れなくなると困るので、予定を切り上げて明日のフェリーに乗ることにした。明後日の夕飯は用意しておいて欲しい」
というものだった。
のんびり海の幸を楽しむ機会が二日短くなってしまった。まあしょうがない。今日は何にしようか、と買い物をしている最中にふと、
『今日は肉が食べたい』
という願望が急に私の脳天に降りてきた。
あ、そう?肉?そうくるんだ?自分に驚きつつ、足は既に肉の棚に向かっていた。
スーパーの牛肉コーナーに行くと、小さなステーキ肉のパックがあった。一人だとこれで十分だろう。一枚が五百円くらい。いいや、他の買い物は何もないし、と籠に放り込む。こんなお肉、自分の為に買うなんて初めてかも知れない。ワクワクしながらお会計を済ませて、ちょっと落ち着かない気分で家路につく。

さあ、焼くぞ。先日息子が帰ってきた時に、ステーキ肉の焼き方は調べたので、同じことをするだけだ。塩胡椒し、両面に焼き目を付けると火からおろして、アルミホイルで包み込んで余熱で中まで火を通す。柔らかく、ジューシーで安心なお肉の焼き上がりである。包丁で一口大に切り分ける。
これをつまみに、ちょっと一杯やりながらぼんやりと観るとはなしにテレビを観る。
ああ、幸せだなあ。

久しぶりの肉は美味しかった。
「食べたいというのは身体がそれを欲している時だから、食べたら良い」
などという言葉を聞いたことがあるが、本当かどうかはわからない。でも確かに私はその日、猛烈に肉が食べたくなって、食べたら本当に美味しいと心から感じたのである。

「オレの居てない間、お前何食うてたん?」
帰ってきた夫が尋ねた。ちょっとギクッとする。
「寿司とか、海の幸サラダとか海鮮中心に、ちょこっと晩酌しながら。でも、昨日は何でか知らんけど急に肉が食べたくなって、ステーキ肉の小さいの買って来て焼いて食べた!」
やたら「ちょこっと」「小さいの」を強調するのは、夫のいない間に贅沢な物を飲み食いしてしまった後ろめたさであることを感じつつ、わざと胸を張って言ってみた。我ながら小さな人間である。
「おう、食え、食え!大体お前普段から食わなさ過ぎや!たまにはしっかり食え!」
と私の後ろめたさには全く気付く様子もなく、夫は嬉しそうに言った。
なあんだ。そっと胸を撫でおろした。

たまにやってくる息子も、高校生の頃のような「肉命」ではなくなり、夫もそうそうガツガツ食べる人ではないから、我が家の食卓にドドンとした肉がお目見えすることは多くはない。唐揚げはするけれど、トンカツですらあまりしない。持て余してしまうのである。
私自身が「肉食べたい」と思うなんてことは、夫と息子以上にないことである。今回のように突発的に「肉食べたい!」なんて思ったのは多分、中学生か高校生くらいの時以来だと思う。
歳をとると、良質な動物性たんぱく質を意識して取ることが必要になる、と聞いたことがある。ご長寿だった故・日野原重明先生も、夕飯に意識的にステーキを召し上がってらっしゃるのを拝見したことがある。たまには食べた方が良いのは間違いなさそうだ。
それにしても身体って正直なんだなあ、と面白く思う。