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畜生の都合

私は子供の頃から犬が大好きである。猫より断然犬派だ。
犬の好きな人は犬に好かれると思う。私も例外ではなく、大抵の犬に好かれる。若い頃なんて、営業先の飼い犬が私を見るなりジョンジョンおしっこを漏らし、お客様が呆れていたこともあるくらいだ。
今でも近所の犬が、勝手に尻尾を振って寄ってくる。おかげで見知らぬご近所さんとの会話が弾むこともある。得な性分である。
しかし実家の飼い犬には随分なめられていた。多分彼(オスだった)の頭の中での家族の序列は父、母、妹、自分、最後が私、の順だったようだ。
「お前、しっかり叱らんさかい。『コイツはオレより下』と思われとるんや」
と父には小言を言われたものの、最初からポンコツと分かっている犬に厳しくする気にもなれなかった。
犬に訊いてみたことはないが、結局私は彼にとって最後まで、『いつも甘やかしてくれる都合の良い女』だったような気がしている。

だがそんな私が子供の頃一度だけ、犬に酷く嚙まれたことがある。相手は母の友人の飼い犬だった。
犬を連れてウチに何かを持ってきたその奥さんは、母と話すのに夢中になっていた。私は玄関先でその『チビ』という犬と遊んでいた。
自分では何のきっかけだったか全く思い出せないのだが、チビはいきなり獰猛な唸り声を上げて豹変し、私の太腿に突然ガブリと犬歯を突き立てた。
あっという間の出来事で、母も母の友人もチビを止めることが出来なかった。リードを引っ張っても、もう後の祭りだった。
チビは猛烈に怒られ、しょんぼりと尻尾を股の間に挟んで帰っていった。
噛みつかれたことより、しょげかえったチビの後ろ姿の方が私の心を滅入らせたような記憶がある。咄嗟のことで悲鳴は上げたと思うが、痛みはさほど感じなかった。
その後奥さんが来ることはあったが、チビは二度とウチに連れて来られることはなかった。

小学生とは言えもう高学年だったから、泣きはしなかった。だが日頃から可愛がっていた顔見知りの犬にいきなり噛みつかれた、というショックは大きかった。
太腿には犬歯が食い込んだ跡がくっきりと残り、血が出ていた。直に噛まれたわけではなかったが、犬のキバって凄い力なんだな、とあらためて感心していた。
「可哀想に、こんなに深い傷になって!」
傷を消毒しながら、母は物凄く怒っていた。あそこの犬の躾はなってない、大体リードが長すぎる、女の子の身体に傷をつけるなんて何度謝っても許されへんわ、顔やったら一体どうなってたか、とプリプリしていた。
しかし私は母と一緒になって憤慨する気にはどうしてもなれなかった。

父は全く違う反応だった。
母がプリプリしながら台所へ行ってしまうと、消毒を終えた私がそっと太腿をしまうのを見届けてから、
「慣れてても、犬は犬や。人間と違う。アイツらにも触られたくない場所はあるし、されたくないこともある。お前は子供やけど、アイツらからしたら自分より大きい動物やから怖いんやぞ。子供やから手加減せな、とは思ってても、急に嫌なところ触られたら命の危険を感じて反射的にガブッとやってしまうこともある。畜生には畜生の都合がある。それを忘れるな」
と静かに諭した。
成程、畜生にも都合があるのか。
責めるのではなく、しかし妙に説得力のある父の言葉に、私はしばし痛いのも忘れてしまった。

その後、私は犬と接する時には物凄く気を付けるようになった。
いきなり上から頭を撫でない。急に近づかない。静かに笑顔を見せる。落ち着いた声で話しかける。ビクビクしない。
そうすると大体の犬が徐々に警戒心を解いていくのが分かった。

犬が檻から逃げ出して嚙みついたとか、大きな蛇が逃げ出して警察も総出で探しているとか、そんな話には事欠かない。
そういうニュースを耳にする時、いつもあの時父が言った『畜生の都合』という言葉を思い出す。それを忘れた時、人間はとんでもないしっぺ返しを受けるんじゃないか、そんな気がいつもしている。

チビはその後、道で出会った時には、尻尾を振って遠くから見てくれるだけになった。奥さんが近寄らせなかったからであるが、チビの顔に『あの時はごめんなさい』と書いてあるような気がした。もしかしたら、いやきっと私がチビの嫌がることをしたんだろうに、と思うと、いつまでも罪悪感が拭い去れなかった。
奥さんもチビもとうに天国に行ってしまった。結局奥さんにも謝れずじまいである。
チビ、こっちこそゴメンね。
近寄ってくる犬を撫でながら、ふと思い出してこっそり心の中で呟くことがある。