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良い『おすすめ』、嫌な『おすすめ』

私は自分ではやっていないが、見る為だけにインスタグラムのアカウントを持っている。お気に入りの漫画家やイラストレーター、プロのオーケストラ、フローリスト、ピアニスト、アーティスト、クラリネット奏者などから友人知人までをほんの数人フォローして、記事の更新を楽しみに見せて頂いている。写真が主なので、noteとは別の面白さがあって、これはこれで楽しい。
しかし最近、これに『おすすめ』という記事が山ほど表示されるようになり、不快な思いをすることが度々ある。

例えば私はファシリティ・ドッグ(病院で患者の精神的ケアにあたる犬たち)協会をフォローさせてもらっている。彼らの普段の活躍ぶりや、オフの日の散歩の様子などをとても楽しみに見せて頂いているのだが、これを見るようになってからというもの、協会と全然関係ない、ゴールデンレトリバー(※ファシリティ・ドッグに多い犬種)関連のインスタグラムがやたらと表示されるようになった。
私が見たい、応援したい、と思っているのはファシリティ・ドッグとそれを支える方々である。単にゴールデンレトリバーを可愛いと思うから見ているのではない。だが、何故かそういう類の記事ばかりが『おすすめ』される。目にする度にイライラする。
いちいち消すのが面倒なので、『三十日間お勧めを表示しない』というボタンをやっと最近押した。本当は永遠に表示して欲しくないのだが、先方から三十日、と区切って言ってきているのでMAXがその期間なのだろう。しょうがない。
一月後はまた消しまくることになるのだろうか。そしたらもう、インスタグラムなんて見ないでおこうかな、なんて思っている。別段見なくても、人間関係に支障は出ないことだし。
それくらい、鬱陶しい。

YouTubeでも似たようなことが多い。こんな動画要らん、と思うようなのが次々と関連動画であがってくる。物凄く煩わしい。こんなもん見いひんわ、と言いながらすっ飛ばしている。
広告も煩わしくはあるが、これはしょうがない。『おすすめ』の煩わしさはまた別のところにある。

私は何に対して不快で鬱陶しいと思うのか、というと、
『あなたはこういうのを見たいと思ってるんじゃありませんか?』
『あなたはこういうのが好きなんでしょう?』
と勝手に決めつけられることである。
私の嗜好や考えが全く反映されていないのに、私の楽しい時間を勝手に削り、見当違いな好みを押し付ける権利は誰にもない筈である。
放っておいて欲しい。
天邪鬼なのだろうか。『おすすめ』されると二度と見たくなくなる。実際見ない。

Googleの検索機能も鬱陶しいものの一つだ。
私はどうしても吹奏楽関連の検索をすることが多い。すると、『○○高校マーチング部』といった演奏会のYouTubeの映像とか、吹奏楽関連の話題が次々と表示される。
しかし、検索する時いつも吹奏楽のことばかり考えている訳ではない。なのに、ずらっと吹奏楽関連の『おすすめ』記事があがってくると、嫌になる。赤の他人に、自分の思考回路を覗き見されているような、落ち着かない気分になってしまう。
そうじゃねえ、と言いたくなる。

見たいもの、聴きたいもの、知りたいこと。
これらは自分の内心からの本能的な欲求である。これらを満たすことで自分は様々な感情を味わい、満足する。
わざわざ頼んでもいないのに、『あんたはこれが好きなんと違いますか』などと要らぬお節介を焼くのは止めてもらいたい。
『おすすめ』などという名前を付けて、中途半端なまやかしの親切ごかしを見せつけるのは、他人の領域に土足で踏み込んで、貴重な時間を奪う人権蹂躙であるとすら感じる。
私はどうも、『誰かに自分の領域に入ってこられることへの警戒感』が普通の人より強すぎるようだ。

思うに、良い『おすすめ』には『おすすめする側の主義・主張』があり、嫌な『おすすめ』には『人の下に入って媚びる』という無用なへつらいがある。へつらっている癖に、こちらの購買意欲をどうにかして刺激しよう、という小狡い魂胆が見え見えである。広告よりタチが悪い。虫唾が走る。
鼻息荒く怒ってみたが、私の嫌がる『おすすめ』が好きで必要な人も、世の中には居るのだろう。

本来、『おすすめ』は『自分が自信を持って良いと思うもの』であるはずなのに、一部でこんな使われ方をするのは非常に残念なことである。
人の感じ方はそれぞれだから別に良いのだが、私はただ、サクサクとインスタグラムを見たい。それだけなんだけど。