見出し画像

それぞれの適温

暑い日はシャワーで済ませる、という方も多いだろうが、私はどうしても湯船に浸かりたい人である。
ややぬるめのお湯に、ゆっくりと浸かるのは心地良い。終い風呂なので、多少お湯を汚しても平気だから、のんびりと入ることにしている。
結婚当初に住んだアパートの風呂はとても小さく、浴槽は深いが小さかったから、あまりゆったり出来なかった。次の家では随分広い風呂になったと喜んだのだが、今回は更に大きくなり、夫も「やっと足を伸ばして入れるようになった」と喜んでいる。
この広い湯船に浸かって一人、のんびりと過ごす時間は私にとって何物にも代え難い、至福の時である。

二人しか居ない家だから、一番風呂は夫である。
ここで問題が起きる。
夫は夏でもかなり熱めの湯に入るのが好きなのだ。私が入った後のお湯だと、ガンガン追い炊きをしてしまう。毎日これでは不経済なことこの上ないので、私が後に入ることに決めている。
誰かが入った後のお湯は、普通は冷めているものだ。しかし、夫の望む湯の温度は半端なく高いので、ちょっとやそっとでは冷めない。つまり、私が入る時でもまだ十分に熱いのだ。
因みにどのくらい熱いか、というと、ウチが夏に張っているお湯の温度は、私の実家が冬に張っている温度より高い。
我が家がぬるめ好み、とも言えるかもしれないが、夫のこの高温好きはちょっと行き過ぎていると思う。
この嗜好は姑の遺伝で間違いない。

姑の好みは夫より激しい。夫ですら「オカンの湯は熱すぎて入れん」というくらいであるから、私など爪先を入れるのも無理だろう。
熱すぎる湯に入るのは、危険である。疲れも取れない。そんなことは当たり前で、今更誰かに説明されなくたって分かりそうなものだが、姑は頑なに「熱い湯でないと入った気がしない」という。誰かさんにそっくりである。
高血圧の持病がある姑が熱い湯に入るなんて、考えただけで恐ろしい。が、止めても聞かないので、何かあったら本人納得の上だしもういいや、と思っていた。今まで何事も起きなかったのは、奇跡に近いと思っている。
今は施設に居るので、そういう心配もしなくて良いから有難い。

「お前、そんなぬるい湯に長いこと浸かって、風邪ひかへんか?」
といつも夫は呆れたように言うのだが、そんな時は
「アンタね、そんな熱い湯にウーって我慢して入ってたら、そのうち血管がプッチーンと切れてお終いやで」
と言い返すことにしている。
お互いに『この温度でないとリラックスできない』と固く思い込んでいるものだから、全く譲歩がない。
「オレはそんなことならへん」
とお得意の『オレだけは大丈夫論』を展開する夫。
「ぬるめのお湯はねえ、リラックス効果が高まって、よく眠れて、身体に良いことばっかりなんやで」
と負けずに正論を言い返す私。
天邪鬼VS正論仮面では、いつまでも闘いは終わらぬ。結果この件に関して、両者の溝は結婚以来、未だに少しも埋まっていない。

夫の後のお湯は少しはぬるんでいるけれど、私にとってはやっぱり熱すぎる。でも埋めるとなると、大量の水が必要になり、これまた不経済である。
しょうがないので、夫が上がった後は風呂蓋をフルオープンにし、風呂の窓を少し開けておいて、湯が冷めるのを暫く待ってから入ることにしている。それでも熱いが、そのまま続けて入るよりはまだマシである。
夫は私がそんな涙ぐましい努力?をしているなんて知らない。
でも文句を言うとまた終わりなき闘いが始まってしまう。どちらかが折れるしかないのなら、折れたとしても文句を言い続けるであろう夫よりも、黙って打開策を講じる私が折れた方がマシというものだ。

今日も我が家の風呂のお湯は、チンチンに熱かった。
夫は
「暑いなあ」
と言いながら上がってきた。当たり前だ。こんなクソ暑い日に、あんなお湯に浸かっていたら、誰だって暑いわい・・・と言いたいのを押さえて、
「今日は暑いからねえ」
と涼しい顔をしてしれっと言いつつ、風呂蓋を開けに風呂に向かう。
二人して、冷えた麦茶をコップになみなみと注ぎ、ぐーっと飲み干す。
明日も暑そうだ。
我が家は今日も夫婦円満である。







この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切: