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あねいもうと

私には2年下の妹がいる。私とほぼ同時期に結婚し、私と1年差で子供を産んだ。
遠くに離れているが、時折LINEでやり取りしたり、電話で話したりする。フルタイム勤務なのでなかなか時間が合わないのが悩ましいが、お互い腹の底まで知り尽くしているので喋りだすと止まらない。

幼い頃から、私達は何かと比較されて育った。
比較したくなる心情もわかるくらい、私達二人は殆ど何もかもが似ていなかった。
私は父と瓜二つの顔をしているが、妹は母方の祖父に似ていた。私は地黒だが妹は色白で、私は一重まぶただが妹はくっきりとした二重であった。

違うのは外見だけではなかった。
私は体育が大の苦手で、中学生の時は"1"をつけられるのをペーパーテストでなんとか回避している有様だったが、妹は大得意で、ペーパーテストの点さえ良ければ"5"をもらえるレベルであった。
体育は同じ先生に習っていたから、先生も姉妹が違いすぎるのに驚いておられたかも知れない。

子供の頃、母がおやつのジュースを2つのコップに注ごうものなら、妹はいつも目を皿のようにしてどちらが多いか、注視していた。少しでも多い方を取るためである。
母も策士で、注ぎ終わった後は少ない方にポチャンと氷を一つ入れる事にしていた。幼い妹はいつもまんまと騙されて、少ない方を取る羽目になっていた。
私はといえば、いつも大人しく妹の取った残りを取る事に何の疑問も怒りも覚えなかった。ジュースに限らず、妹と何かを取り合って喧嘩した記憶がほぼない。いつも譲っていた。

ただ、私のこのおとなしさは親の目を気にしての事だったようで、親がいない所では友達に止められるくらい、妹を折檻した事もあった。
親には『妹思いの良いお姉ちゃん』でいなければ愛情がもらえないような気がしていたのだろう。家の中での鬱屈した思いが、外では出てしまったのだと思う。
だがこの事で妹に恨みがましく言われた記憶はない。

二人共人の親になった時、子供は一人で良い、という妹にどうしてか聞いてみた。
「比べられたくないやろうと思って」
という返事にとても驚いた。

妹によれば、いつも『しっかりしてて』『お勉強が出来て』『頼りがいのある』姉はいつも追いつけない、眩しい存在だったそうだ。ずっとコンプレックスを抱えていたそうで、未だに拭えない、という。
私は『可愛くて』『運動神経抜群で』『甘え上手で人気者』の妹が心底羨ましかった。私こそ眩しくてキラキラしていた妹に、ずっとコンプレックスを抱いていた。
この歳でもう"キラキラ"もないし、年齢相応の外見にはなっているが、妹はそれでも随分若く見える。羨ましい気持ちは正直今でもある。

私達姉妹がそれでも仲が良いのは、周りの大人達に貼られたレッテルを剥がしたそれぞれの姿を、お互いにしっかりさらけ出して、それを批判したり糾弾したりせず『そのまま』認めていたからだと思う。
外では見せない自分の姿をお互いには見せる事で、相手が"本当はどうしたいのか"をお互い自分自身よりもよくわかっていた。だから殊に恋愛の相談をする時は、その時期待する答えが相手から帰ってこなくても、いずれ自分はそうしたいのだ、と言う事を確認していたようなものだった。
そしてお互いに敢えて自分の思う正解を押し付けず、「ふーん、そうなんや」とそのまま受け止めた。
結果、私の現実は妹の予想した通りのものになり、妹の現実は私の予想した通りのものになった。

今それぞれが家庭を持ち、それぞれの職業で働いているが、私からみた妹は子供の頃と全然変わらない。
屈託がなく、可愛く、キラキラしているけど、物事の本質を鋭く見抜く目を持っている。本人は『頼りない』というが、妹のどこを見てもそんな風には私には思えない。
そして、私が"本当はどうしたい"と思っているのか、を誰よりも今でもよくわかってくれている。
私も妹が"本当はどうしたい"のか、をわかっているつもりだ。

これからの私の人生の仲間に、妹がいて良かった。
そんなこんなで、凸凹だけれど私達は仲の良い姉妹である。