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髪の毛一本分の時間のドラマ


最近はコロナという事もあり、めっきりコンサートに行く機会が減った。私の場合は専らクラシックである。わざわざ会場に足を運ばなくとも、かなり良い演奏に触れることができるようになった感のある昨今ではあるが、私自身は時折「生」の音に無性に触れたくなる。

コロナは確かに災難ではあるが、所謂「ブラボーおやじ」はいなくなった。飛沫が飛ぶからだ。最後の一音が終わり、弦楽器奏者の指がビブラートの動きを終えようとしている時、指揮者の身体やオーケストラ全体から、この演奏と別れを告げようとする、フェイドアウトへのエネルギーの流れが感じられる時、つまりこちらが演奏の余韻に浸っている時に、それを破る「ブラボーおやじ」は私にとっては大変迷惑な存在だった。もうちょっと待ってくれい!と突っ込みを入れたくなったものだ。

しかし最近は、これを声ではなく、拍手でやる人がある。しかもかなり力の入った、遠慮のない拍手が多い。「パンパンおやじ」とでも命名しようか。声でないだけで、こちらが残念なのは変わりない。「おやじ」というのは差別だ、と言われそうだが、そういう事をするのが大抵男性であるのは何故だろう。

確かに、感極まる演奏というのはある。私自身、スタンディングした事もある。だが、ちゃんと演奏者が振り向き、礼をしてから、である。

色んな楽しみ方がある。俺は演奏が終わったらすぐに叫びたいんだ、力いっぱい拍手したいんだ、という方もいるだろう。だけどそうでない人もいる。だから、そういう方はどうか心の中でいくらでも叫んで、目いっぱい拍手して欲しい。私のように、髪の毛一本分の間のドラマを味わいたくて、コンサート会場に行く人間もいるという事を分かって頂けると、より多くの人がコンサートを楽しめるように思う。