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ええもん

「俺は今日から甘いもん断ちをすることに決めた」
夫がこう言うのをもう何度聞いたことだろう。勿論、全く成功した例はない。今日に至るまで、夫は自他共に認める大の甘いもの好きである。
「これだけはええんや。これ食べたら終わりにする」
「お前がこんなもんを買ってくるから悪い。期限切れる前に誰かが食べんとダメになるやないか」
「考える仕事をすると、脳味噌が糖分を欲するんや」
夫が自ら定めた目標をあっさり取り下げる理由は枚挙に暇がない。新婚当初はからかってみたりもしていたが、二十年以上ありとあらゆるセリフを聞き飽きた今となっては、いつも流れているBGMのようでああまた始まったか、と思う程度である。

夫は甘い物のことを「ええもん」と呼ぶ。関西弁で「良いもの」ということだ。在宅勤務時の休憩時間などには二階の仕事部屋から降りてきて、
「今日はええもんあるか?」
と言いながら、流しの戸棚の前を熊のようにウロウロする。
特に高級な菓子でなくてもよく、ヤ〇ザキの三本九十八円の串団子でも、コンビニスイーツでも良い。お口汚し程度にほんの少し欲しいらしい。

タバコを吸う男性は甘い物が苦手、と聞いたことがあるが、夫は昔喫煙者だったことがあるそうだ。私と出会った頃には全く吸っていなかったのでかなり前の話のようだが、タバコも甘い物も大丈夫らしい。
洋菓子でも和菓子でもイケる口である。洋ならチョコレート系でも生クリーム系でも、焼き菓子でも何でもいい。和なら饅頭、団子等のボリュームあるものが好きだが、あまりデカいと「目で腹いっぱいになった」と言って嫌がる。結構うるさい。最近のお気に入りは近所の和菓子屋の苺大福だ。
同じものを続けて食べるよりバリエーション豊かな方が好きなようで、おかげで私は毎度毎度夕飯を考えるのと並行して、夫の「ええもん」を何にするか考えるのに頭を悩ませている。

子供が小学生くらいの頃は戸棚にお菓子が入っていようものなら、
「これ、お父さんのや!お前食ったらあかんぞ!」
と父権を振りかざし「キープ」しようと躍起になっていた。子供はおとなしかったのでお菓子が一つしかないと、
「パパが『お父さんの』って言う…」
としょんぼりして目に涙をためて私に訴えにくることになる。だからお菓子を買うときは必ず同じ物を二つ、用意しておかねばならなかった。
なんて大人げない。しかし正真正銘本当の話である。

今は私とバトルしている。
「あっ、あと一個あった栗きんとんどうした?」
先日やってきたふるさと納税の返礼品、中津川の栗きんとんは私も夫も大好物である。お互い遠慮はしない。
「食べたよ」
「おまえー!楽しみに取っといたのに!」
「『物はある間に食え』って言うてるやろ」
「まじかー!くそー!」
という不毛すぎるやりとりがアラカンとアラフィフの夫婦の会話なのだから、つくづく情けない。

現在まで相変わらず「甘い物断ち」を決意表明しては撤回するを繰り返している夫である。どこかの国の政治家のようだ。
私も無反応だし、言ってて自分でもバカバカしくなってきたのか、それとも開き直ったのか最近は、
「今日はどんなええもん買うてきたん?」
と買い物から帰った私に声をかけながら、買い物袋を漁る。
「今日のおやつ何?」
と聞いてくる子供よりタチが悪い。いい歳をしたおっさんが買い物袋をのぞき込んでいる様は、妻としてなんともコメントのしようがない。

今日夫は早朝から、姑の入居する関西の老健に挨拶がてら説明を受けに行っている。昨夜は出張先からかなり遅くに帰宅した。話があった時、疲れるだろうから私が行こうか、と言ったのだが
「いや、俺のオカンの事やから俺が聞かなあかんやろ」
と夫は自分で行くことにした。
勿論車中で食べる「ええもん」もしっかり持参した。
最近は身体もガタが来ているようであっちが痛い、こっちが痛いとしょっちゅうぼやいているので、今回の関西弾丸ツアーは大丈夫かなと少し気になっている。
今日は遅くなると言って出て行った。美味しい苺大福でも用意して帰りを待つことにしよう。