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小さな向日葵によせて

花屋の店先に最近、小さな向日葵を見かけるようになった。
この花をみると、昔の友人Xさんを思い出す。

Xさんは私の"元"友人である。私は現在でも友人だという認識でいるが、Xさんは違うと思う。
私と会うと一生懸命横をむいたり、必死で無視しようとしているのが伝わってきたからだ。ああ、“もう私は貴女の事嫌いです”オーラを出したいのだな、と思ってそんな彼女の仕草を見ていた。
友人でいたかったのに残念だなあ、まあこれから先の人生でまた仲直り出来る事もあるかも、そうだと良いな、と言うのが私の現在の心境である。

Xさんは本当に魅力的な人である。
とある美人女優さんにとても良く似ている。身体つきは全体的にほっそりと華奢で、オマケに色白である。

服装センスが良く、いつも良いものをさり気なく着こなしている。自分に似合う物をよく知っている。

実は才媛なのに、『能ある鷹は爪を隠す』を実践している。
達筆でもある。褒めるとひたすら謙遜する。

手先が器用で、特に手芸はプロ級である。彼女の作品を沢山見せてもらったが、十分これで食べていけるのでは、と思える出来ばえであった。
本人はまた謙遜しまくるが、これだけ色んな作品を産み出せるセンスはちょっとない才能だと思う。

性格は根が真っ直ぐで、真面目を絵に描いたような人である。ズルいことや、他人を裏切るような事が出来ない。
人を疑う事を知らない。真っ白というのがピッタリの、純粋な心根の持ち主である。
正義感が強く、曲がった事が大嫌いである。

ここまで書くと、物凄く何でも出来る、立派な人だと改めて思う。本当に素敵な人だ。
だがこのXさんにたった一つだけ、足りないものがある。
それは『自分を信じる心』である。

これだけ完璧でも、Xさんにとっては“不甲斐ない自分”である。
もっと上がある、もっと上がある、とエベレストより高い頂点を常に目指している。
そんなに頑張ってたら倒れるよ!と周りが気遣っても、いや、私はまだまだ頑張り足りないんだ、どうして私はやってもやってもこんなにダメなんだろう、と悄気げている。

だからXさんは、周りに「私を認めて下さい」という猛アピールをする。

周りは当然認める。これだけ出来るんだもの、認めない理由がない。というか、とっくの昔に認めている。
でもXさんは安心出来ない。
自分が認めていないからだ。
「みんな、気休めに認めてるフリしてるんじゃないの?うるさいから適当にいなしてるんじゃないの?」
とばかりに、延々とアピールしてくる。

このからくりをちゃんとわかっている数名は、ちゃんと落としどころを心得て、Xさんの自分不信にブレーキをかける術を模索する。
完璧にはブレーキをかけられなくても、多少良い方向に行く事が多い。

しかし世の中の大多数の人は、所謂“面倒くさい人”というレッテルを貼って、Xさんから遠ざかる。
人が遠ざかると、Xさんは不安になる。孤独を恐れてパニックになる。自分は間違ってるのではないか、と焦る。

そして自分を理解してくれているであろう数名に、更に自分の正しさを猛アピールする。
その数名にも家庭があり、仕事がある。しかしこの段階ではそんな事はXさんの頭からすっ飛んでいる。
日頃の慎み深い、賢いXさんが居なくなってしまう。
残念に思いながら、こちらはなす術がない。負の堂々巡りをするXさんを、途方に暮れて見ているしかない。
こうやってXさんは自滅していく。誰も信じられなくなり、やがて自ら自分を信じてくれる人からも離れていく。

こうしてXさんは私から去っていった。
見ていてなんとも歯痒かった。

お話しなくなって随分になる。
小さな向日葵のようなXさんに暗い顔は似合わない。彼女はそれに気付いただろうか。
私の心配が杞憂であれば良いが、と梅雨の晴れ間の空を見上げて思う事である。