ある熱血先生の思い出
小学校四年生の時の担任はM先生と言った。当時は随分おばさんだなあと思っていたが、今考えると自分の母親より若かったかもしれない。大きな声で元気よくハキハキ喋る明るい先生で、私は好感を持っていた。
子供の頃の私は人見知りが激しいというのか、「この人ダメだ、波長が合わない」と思うとビクビクして委縮してしまう人間だった。相手が先生でもそれは変わらなかったから、先生とノリが合うか合わないか、は私の学校生活に於いて重要なポイントだった。
M先生は私にとって「大丈夫な人」だったから、四年生の頃は毎日楽しく通えていた。
先生は弱い者いじめが大嫌いな人だった。
クラスに一人、低学年の頃からずっと嫌われている女の子がいた。いつも頭が臭いし、身なりが汚い。勉強も運動も出来ない。忘れ物をしてばかりいる。上履きはいつ洗ったかわからないくらい真っ黒だった。
どんな事情があったのか、兎に角嫌われてもしょうがないくらいの不潔っぷりだったのである。
女子はさすがにあからさまに虐めたりはしなかったが、男子は酷かった。体育の時間には土を掴んでぶつけたり、「バイキン」呼ばわりしたり、給食の係が一緒だと「げー、汚いー」と大袈裟に嘆いたりした。
ある時休憩時間に、虐めていた内の一人がふざけて油性マジックで彼女の机の上に大きなウン〇の絵を描いた。他の男子も調子に乗って、ハエを描き足す者や鼻をつまんで彼女から離れる者もいた。
よくわかっていないのか、虐められてもいつも暖簾に腕押し、と言った具合に平気な顔をしていた彼女だったが、これにはショックを受けたようで机に突っ伏して泣き出してしまった。
それでも悪ガキどもはゲラゲラ笑っていた。そこへM先生が入ってきて、机の上の落書きを見た。
先生の顔色がさっと変わった。
「これ描いたもん、全員前に出ろ!」
先生の声が怒りに震えていたので、私達はシンとなった。悪ガキどもは全員前に出たが、ニヤニヤしている者もいた。
「歯を見せてる奴、誰や!」
再度雷を落とされて、やっとみんな真面目な顔になった。
「お前ら、こんなことしてええと思ってんのか?」
先生が言うと、一人の男子がまたニヤニヤしだして、
「でも先生、こいつホンマに臭いもん。汚いもん」
と少し笑いながら言った。
先生はその男子の前につかつかと歩み寄って顔を近づけると、
「じゃあ臭かったら机の上にこんなもん描いてええんか?お前が臭かったら、誰かがお前の机にウン〇描いてもお前怒らへんのか?腹立たへんのか?」
と真顔で詰め寄った。
「ウン、オレ腹立たへん。臭いのが悪いんや」
その男子は先生の勢いに押されつつも、あくまでもその女子が汚いのが悪い、虐められて当然、という態度を取り続けた。他の男子は目を見合わせてモゾモゾしていた。自分たちのやったことが悪いに決まってる、そろそろやばいんじゃねえ?という雰囲気だった。だがその男子だけは折れなかった。
「よっしゃ、言うたな。じゃあ、先生がお前の机にウン〇描いたる!」
先生はそう言うと、油性マジックを手に大きなウン〇の絵をその子の机に描きだした。私達はびっくりして先生の手元を見守っていた。すると先生は絵を描きながら立っている悪ガキたちを振り返って睨みつけ、
「おい!今黙ってたら逃げられると思ってるなよ!お前ら、お互いの机に同じもん描け!描かれたらどんな気持ちになるか、味わってみろ!」
と残りの悪ガキたちに指示した。悪ガキたちはバツが悪そうに、真面目な顔をしてお互いの机に大きなウン〇の絵を描いた。
その翌日、教頭先生がM先生と一緒に教室にやってきた。M先生はうなだれている。
教頭先生が口を開いた。
「学校の備品に落書きをするのはやめましょう。今回は先生がやりなさい、と言ったから描いたので、特別に何も注意しません。次からはしないようにして下さい」
それだけ言うと、教室から出て行ってしまった。
M先生はうなだれたまま、何も言わずに絵を消し始めた。シンナーのような匂いが教室に広がった。
みんなシーンとなってそれを眺めていた。
恐らく、あの最後まで反抗的だった男の子の親が学校にクレームでも入れたのか、子供達の話を聞きつけた他の先生がマズいと思って教頭先生に注進したか、だと思う。真相はわからないが、後味は悪かった。
ただこの時以降、その女の子に対する虐めは全くなくなりはしなかったものの、すっかり大人しいものになってしまったのである。
やり方は良くなかったかもしれないが、人間として心の底から憤って、「いじめは絶対ダメだ」と体当たりで子供に伝えた先生の気迫は、四十年以上経った今も忘れられない。
ニュースで惨い虐めの事件を聞く度に、思い出す先生である。