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楽譜を汚す

前の楽団で一緒だったフルートのSさんは、楽譜に沢山の書き込みをする人だった。
私の楽器(エスクラリネット)はフルートの真横に並ぶことが多い。同じような旋律を奏でることが多いから、お互いの音を聴きやすくする為である。だから自然とお互いの譜面が目に入ってしまう。
Sさんの譜面はそれはそれはカラフルで、苦手な音にはピンクでグルグルと丸がつけてあったり、先生が『ここはもっと歌って下さい』と仰ったフレーズには黄色い蛍光ペンで大きく丸をつけて『うたう!』と書かれていたり・・・まるで中学生か高校生の吹奏楽部員のような譜面だった。

何かの折に指導のM先生が彼女の譜面を覗き込んで、
「うわっ、賑やかですねえ」
と半分感心し、半分呆れていたのを思い出す。
「それって見にくくないですか?」
とSさんに訊いてみたことはあるが、
「いえ、私忘れっぽいのでこれぐらいしておかないと。注意されたことすぐに忘れてしまうんです」
と楽しそうに言っていたので、本人が満足しているならまあそれも良いか、と敢えてそれ以降指摘したことはない。

私達は先生のご指導を受ける時、必ず『鉛筆』を用意する。硬さは2Bくらいが適当かと思う。HBでは硬すぎる。
フレーズの歌い方についてのご指導は勿論、クラリネットの場合は
「ここはこの指を使って下さい」
と運指についての指導が入ることもあるから、書くものがなくてはお話にならない。
普通はSさんのようにキラキラしたことはせず、薄く丸で囲って『歌う』と書いたりする程度だ。字を書かないことも多い。
運指は簡単な絵を描いて、どの穴を塞ぐかを示したりもする。私は絵が下手なので、『L(左の略) Gis(ソのシャープ、ドイツ語)key』などとキーの名称を書いたりするくらいにしている。
どれも薄く、が基本である。指導の内容は変わることもあるので、後から消せるようにするためだ。
こういう意味でもあまり賑やかに書くのはよろしくないと思う。個人の好みもあるだろうが、消せないものは普通ご法度だ。

鉛筆タッチのものは別だが、シャーペンは使用厳禁である。譜面が凹んでしまい、消しても文字が残ってしまうからだ。
以前いた楽団の指導の先生が、昔所属していたプロのオーケストラに掛け合って、そこで使用している鉛筆を購入して、楽団員に配って下さったことがある。
皆でした先生のお誕生日祝いのお返し、ということだったのだが、これが非常に書きやすく消しやすい優れものだった。
吹奏楽とは違って原譜に直接書き込むことが多いオーケストラは、こういうものが必須なのだろうと思う。吹奏楽ではバンバンコピーを取り、ドンドン書き込むスタイルが当たり前になっているから、書く道具に何を使うかにはどうしても無頓着になってしまうのだろう。

前に居た楽団に、臨時記号(シャープやフラットなど)が出てくる度に調号に赤い丸をつけるようにしている人がいた。しかし『ハイデックスブルク万歳!』(ルドルフ・ヘルツアー作曲)という曲をやった時、あまりにも調号が沢山付いていたので、彼女の譜面は真っ赤になってしまい、とても見辛そうだった。
こういうのは頂けない。

K先生に習い始めた頃、私の譜面を見た先生は
「汚い!」
と一喝した。
先生に教わったあれこれをいっぱい書き込んでいたのだが、
「貴女は演奏する時、どこを見ているんですか?音符を見ているんでしょう?字を見て吹くんですか?こんなに書いてはいけません!要らない情報で譜面を汚さないで下さい。言われたことはちゃんと集中していれば覚えられます。譜面に書いて安心するのではなく、身体に刻みなさい!!譜面を見たら僕に言われたことを思い出すように、考えながら練習するんです!書いたら忘れてしまいますよ!」
と非常にこってり叱られてしまった。
それからは必要最小限のことのみ書くようにし、要らない書き込みをすることはなくなった。
私にもSさんを笑えない時代があった。

先生の仰るように、吹く時は『音符』を見るのであって、『書き込みを読む』のではない。『文字を読む』方に神経が行ってしまうと、どうしても集中力が削がれる気がする。
全く書かないのもいけないが、書きすぎもいただけない。
私の愛用の鉛筆君は、ほんの少し先が丸くなっている程度である。多分、楽器を置く時までこの鉛筆を使うんだろう。
日々忘れっぽくなっていくけれど、なんとか記憶力を磨いて、必要最小限の書き込みで吹けるように在り続けたいものである。