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素直なおナス

父の直属の上司で、ウチの両親の仲人でもあったNさんは、豪放磊落と言う言葉がピッタリくる人だった。およそ公務員らしくなく、どちらかと言うと建設関係の会社の社長とか重役とか、そういう肩書の方が似合っていた。実際にお父上はそういうお仕事をされていたそうなので、自然にそういった雰囲気を身に着けておられたのかも、とも思う。
父の大学の先輩でもあった。ウマが合うというのか、父を非常に気に入って若い頃から可愛がり、我が家にも度々訪れては一緒に酒を飲んだりしていた。
仕事はかなり出来る方で、出世は早かった。たいして男前ではなかったが、モテる人だったそうだ。奥様は美人で十年くらい年下。自慢の奥様だったようだ。

Nさんには男の子が三人いらした。
長男と次男は学業優秀で、長男は医師になり、次男は某有名国立大学を卒業後、大手メーカーの技術職として海外を飛び回って仕事をしていた。
Nさんはこの二人の息子達のことを非常に誇りに思っておられたようで、ウチに来られた時にはよく話題に上っていた。
しかし、Nさんが最も可愛がっていらしたのは三男坊であった。
この三男坊、数々の『伝説』を打ち立てては、しょっちゅう私達家族を笑わせてくれた。

三男坊が小学校の社会科見学で地元の城の天守閣に登った後、社会の小テストがあった。
『私達の学校は、○○城から見てどちらの方角にありますか。書きなさい』
という設問に対し、彼は極めて真面目に、
『下』
と書いたのだという。これを聞いた時には、私達は涙を流して大笑いした。
「確かに下にあるから間違いと違うしなあ。東西南北で言わなあかんって、どう教えたらわかるかと思うてよお」
頭を掻きかき私達と一緒に笑いながら、Nさんはボヤいておられた。

社会科だけではない。国語のテストで
『”素直”の反対の言葉を書きなさい』
と言う問題が出た。またまた彼が真剣に考えて書いた答えは
『おなす』
だったという。
これにも私達家族は爆笑させられたのであるが、Nさんは
「確かに、その通りよなあ。間違いちゃうわなあ。そやけどどう言うたったもんかなあ、と思うてよ」
と呆れたように笑っておられた。

面談で学校に行くと、上の二人は先生から必ず
「とても優秀です」「言う事ありません」
と褒められるのだが、三男坊の時は
「とても人気者です」「素直で明るくお友達が多いです」
と言われるだけで勉強のことは一切言われないのだ、と言ってNさんは苦笑しておられた。
「先生も他に褒めるとこないさかいなあ」
と自嘲気味に仰るNさんは、でもどこか嬉しそうだった。

その後十年以上の月日が経って、Nさんは五十代で早期退職をされた後、自分で会社を立ち上げた。業績もよく、父は『お前も退職したら来いよ』などと誘われていたらしい。
が、Nさんはそれから間もなく、病で突然帰らぬ人となった。現役時代からかなり豪快な飲みっぷりだったから、多分それが誘因となったのでは、と思う。会社経営には、公務員時代とは違うストレスもあったのかも知れない。

Nさん亡き後、会社は三男坊が継いだ。
「アイツ、大丈夫なんかいな」
と父は心配していたが、会社の経営は順調だった。Nさんがしっかりと基盤を築かれたということも大いにあるだろうが、実際に社長になった三男坊と会った父は、
「上手く行ってるのがわかるわ。たいしたもんや。アイツ可愛げのあるええ奴やさかい、取引先にも好かれとるんやろう」
と感心していた。
頭の回転が恐ろしく速く常に人の先を読む、鋭いNさんのようではないが、温かい人柄と人懐っこい笑顔で相手を魅了してしまうようだという。あれはあれで才能だ、ということらしかった。

三男坊は二児の父であった。会った時に父が、
「オイお前、子供も『おなす』言うとるんと違うやろなあ」
と冗談めかして言ったら、
「いや、嫁さんの血が入ってるんで、ワシよりはマシです」
とニコニコしながら悪びれもせず答えてくれたそうである。
「Nさんも人懐っこいところあったからなあ。似てるんやろうかい」
父が感慨深げに語ったのを思い出す。
『おなす』の彼ももうお爺ちゃんだろう。どんなお孫さんか、話を聞いてみたいものだと思っている。