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ナイナイ星人

我が家には二十五年という長きに亘って、一匹のナイナイ星人が棲みついている。
「オレのシャツがない」
「オレのスマホがない」
「オレの眼鏡がない」
「オレの・・・・がない」
そう、我が夫である。

自分でどこかにやっておいて、自分で探そうとしない。こちらが探索に協力しないと見るや、途端に不機嫌モードに突入する。そして、
「なあ!○○ないで!どこ?」
とこちらが返事をするか関心を示すまで、とことん粘る。
最近まではこのナイナイビームに負けて、渋々ブツの探索に腰を上げていたのだが、行方不明の原因は九割九分本人の所為なのだし、とある時をきっかけに開き直って、探索するのをすっぱり止めた。
ビームの効果がさっぱりなくなったナイナイ星人は、大いに不満なようだが、私が自分でどこかにやった記憶があるものなら兎も角、彼がどこに置いたかを私が推測して探すなんて、非効率極まりないではないか。

普通、失せ物はなくした本人が、その曖昧な記憶を辿りながら探すのが筋である。『この人ならここに置きそう』と他人が当てにならない予測をして探すなんて、回りくどくてほとんど意味をなさない。
だから本人に探してもらおうと思って放置するのだが、どうもナイナイ星人は『探す』という行動そのものが、極端に嫌いで苦手らしい。
これは多分、幼少期から
「お母さん、○○がない!」
と言えば、
「ハイハイ、探したろ」
と自らの労力を全く使うことなく、探し物が素早く見つかるシステムがしっかりと構築されていたからだろう。
「この人、探し物いつもお母ちゃんにさせてたさかい、ミツルさん甘やかしたらあかんで!」
という姉の言葉が、如実にこの現実を伝えている。

驚くべきは、ナイナイ星人は人に探索させるためならその他の労苦を厭わない、ということだ。今朝もそうだった。
昨夜就寝前に、
「明日はバイクでちょっと遠出しようと思ってる」
と言ったので、
「私は仕事やから見送ってあげられへんけど、気を付けてね。おやすみ」
とだけ言って、私は寝床に入った。
翌朝は日曜日だったのだが、私が六時半に起きると彼も起きてきた。休みやのにむちゃくちゃ早いやん、と驚いていたら、
「なあ、オレのジーパン知らん?」
と訊いてきた。
もしかして彼は、これを訊くためにこの時間に起きたのか?だとしたら、自堕落なのか几帳面なのか、よくわからない。

ジーパンはいつも洋服ダンスの上から二番目の棚に入れている。そんなこと、彼も知っている筈だ。折角の休日に早起きして私に訊くより、いつもの場所を前夜に確認しておいて、ぐっすり寝た方がよっぽど楽なのに、と思いつつ、
「さあ?いつものところにないの?」
と私が訊くと、
「ない。だから困ってるんや」
と開き直ったように言う。
ここでナイナイ星人のナイナイビームに屈するような私ではない。数々のナイナイ攻撃を長年受け続け、もうすっかり防御方法を身に着けてしまった。
「さあ?『私は』いつものところに置いたよ」
この、『私は』がミソである。『あなたが』どうしたかは、私は知りません、あなたの問題ですよーと言外に匂わせつつ、一応反応はしているので無視している訳ではない。

ナイナイ星人はなおも粘る。
「オレも知らん。洗濯物片付けてんのお前やろ」
ほほう、虚しい抵抗ですな。心の内でちょっとニヤリと意地悪くほくそ笑んで、
「『私は』いつもの場所に置いたよ。あんた、この前着てなかった?あの後洗ってないと思うわ」
とジーパンの在りかに関する自分のアリバイを主張する。
ナイナイ星人はウッと詰まる。

そしてここから、ナイナイビームは攻撃モードから懇願モードに切り替わる。
「なあ、探してくれよお」
おや、今度は甘えん坊モードですか。すいませんが、私はあなたのお母ちゃんではありませんので、この攻撃は意味がないですね。
「ちゃんと探した?ごめんやけど私、今日出勤やから、時間ないねん」
(訳:自分のもんは自分で探せ!私は遊びに行くあんたと違って、『お仕事』しに行くんですよ!そんな時間ないっちゅうねん!)
こういうと、ナイナイ星人は九割以上諦める。ブツブツ言いながら、洋服だんすを探りに行く。程なくして、
「あった」
と言いながら、何事もなかったように階段を降りてくる。
言わんこっちゃない。

こうやって少しずつ教育していけば、ナイナイ星人もいつかは、大人しく地球人に同化してくれるかしら。
それにしても根気の要る話である。