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デリカシーなし男

夫は一般的な基準で言うと、かなりデリカシーの欠如した人だと思う。
夕飯の席で会社の同僚との会話の話になり、
「○○さんな、『××』って言うたから、オレ『○○』って言うてん」
というのを聞いてギョッとすることもしばしばある。ため息が出ることもあるが、本人はどこ吹く風である。エブリデイ・ノー自覚、かなりの重症だ。
「あかんかったか?」
息を呑む私に驚き、幼い子供のように目をくるくるさせて真顔で訊く様子は、還暦過ぎのオッサンとは思えない。

「いや、普通言わんやろ」
返す言葉に困り、辛うじてそう言うと
「そうけ?何にも言うてなかったぞ」
『何をそんなに驚く必要があるのか?』と言わんばかりの、不思議そうな返事が返ってくる。悪びれる様子など、一ミリもない。
「いや、『僕は怒りました』『在間さん、失礼ちゃいますか』ってあんた、面と向かって言える大人って普通おらんやん?」
こんな当たり前のことを嚙み砕いて説明しなければならないことに、軽く眩暈を覚えるのだが、
「そうかなあ?言うたらええやんけ。『あ、そうですか、スイマセン』って言うだけや」
と三歳児のような(三歳児に失礼かも)返事が返ってきて、言葉を失ってしまう。我が家の、よくあるこういう会話のパターンである。

夫は年齢を重ねることによって、デリカシーをなくしていった訳ではない。どうも昔からだったようで、新婚当初姉からは
「ミツルさん!この子な、めっちゃ失礼なことしれーっと言うて、ぜーんぜん悪気ない変な子やから、よーく怒ったってな!」
と聞かされていたのだった。
その言葉を結婚から四半世紀経った今も、しっかりと噛みしめている。
これは生まれながらの気質と、育ち方の問題であると思っている。

とは言っても、夫も新婚間もない頃は『釣った魚』に暫くは餌をくれていたようで、こちらの神経を逆撫でするような発言は、そう多くはなかった(という事は調節は可能なのか?)。
しかし月日を重ねるにつけ、
『おい、今のアリか?』
と私の額に怒りマークがピキッと浮かぶような発言が増えてきた。
本人は言ったことを覚えてすらいないことも多く、抗議しようものなら
「お前、そんな細かいこと、よー覚えてんなあ」
とのんびりウンザリした調子の返事が返ってくることも多かった。

子育てに必死の頃は、そういう明後日方向に向けられた返事を聞くと、
「ンナロ!デリカシーなし男め!」
と声にならない声で叫び、恨み骨髄で夫の背中に向かってアッカンべをすることも度々あった。
でも夫は一向にそんな事気にせず、結局今に至るまで、ずうっとマイペースを貫き通して幸せそうである。
今振り返ってみても、私の抗議で夫の言動が変わったなんてことは、ただの一度もなかった、と断言できる。

そのうち、私は夫のデリカシーのない発言に、抗議することや注意することを諦めた。
『他人は変えられない』という自明の理にあらためて思い至ったのと、『自分の発言は自分に返ってくるのだから、この人は自分の発言によっていずれ苦しむことになる』ということに気付いたからである。

夫の会社の同僚はお優しい方が多いようで、デリカシーなし男の夫は自由過ぎるくらい自由に息をさせてもらっているようだ。そこは皆さん、甘やかさないで下さると良いのだけれど、この調子だと職場での夫への教育効果は期待できそうにない。
もしかしたら
『あのオッサンはもうあと〇年で退職だから、それまでの辛抱だ』
と密かに思われているのかも知れないが、まあ、それも良かろう。
知らぬが仏、である。

夫を変えられないので、家では私が変わることにした。
デリカシーのない発言にいちいち目くじらを立てることなく、『ああ、また言うとおるな。アホやなあ』と思うに留める。
勿論、ちょっと度が過ぎるんじゃね?と思う時は、
「あんた、今のその言葉、どうなん?」
と感情を交えず、静かに指摘するようになった。
こっちの方が堪えるようで、効果は多少ある。が、長続きはした試しがない。それにももう慣れてしまった。

そもそも『デリカシーがない仕打ちをされた』と感じていた私の方にも、心の余裕がなかったのだと思う。こうして欲しい、ああして欲しい、という夫に対する要求を満たされない不満が募っていたことも、夫のデリカシーのなさに過敏に反応する一因だったのだろう。
デリカシーがないのは褒められた話ではないが、所詮夫固有の問題である。恥をかいたり、人間関係でしまったという思いを味わうことになるのは、夫であって私ではない。
夫婦の連帯責任なんて勿論ない。いいオッサンの躾をしろなんて、今更言われても願い下げである。
ちょっと人より感度を鈍くして、塗り壁のような気分でデリカシーのない発言を遠雷のように聞く。それで我が心の平穏は保たれる。それで良いではないか。
夫が後で臍を噛もうが、私の知った事ではない。
メデタシ、メデタシ、チャンチャン。