言い訳
先週来、悩んでいることがある。
コンクール前の強化練習日は朝から約六時間の合奏だった。休憩を挟みはするものの、五十歳を過ぎた身体にはなかなかしんどい。
担当しているエスクラリネットという楽器は、普通のクラリネットに比べると息はそう沢山消費しない。が、音程の不安定な楽器なので周囲と合わせるのに大変神経を使う。集中力がより必要で、これを六時間もやると身体よりも頭がクタクタになってしまう。
上手な人ならそうでもないのだと思う。が、私は上手に吹けているという自信がない。なので音を出す一瞬一瞬が緊張の連続である。疲れるわけだ。
実はエスクラリネットは長時間吹くと、疲れて口が自然に締まってくる。締まると息の通り道を塞ぐので、音程は上がってくる。特定の音は非常に上がりやすいので、意識的に音程を下げねばならなくなる。
しかしこのコントロールが超絶難しい。
練習終了後、音程をチューナーで確認しながら吹いていたら、他のパートの人が近寄ってきて、
「周囲が音程正しいんだから、寄せて(合わせて)よね」
と言われてしまった。はい、スイマセンと答えはしたものの、言い訳したい気持ちがムクムクと沸き上がるのを押さえられなかった。
あのねえ。私も合う人と合わない人が居るんですけど?この差は何?
そもそも、あんたたち本当に『正しい音程』で吹いてます?私が正しいとは言わんけど。
それに『正しい音程』なんてないんですけど。私の仕事は『周りの音程に合わせる』ことなんですよ。乱れようがどうしようが、周りの人達の歌い方に合わせるんですわ。周りが安定せんと、私も合わせようがないっしょ。個人練習の時音程聴いてますけど、あんたたちそんなバッチリ合ってませんよ。チューナーの針、ブンブン揺れてまっせ。気付いてる?
心の中だといくらでも文句が言える。
私が混乱しているのにはもう一つ理由がある。
この日、クラリネットの高音域の音程が合わないので、パートリーダーが一人ずつの音程を確認して回った。誰が基準音になれば良いか、確認する為である。
「やっぱりミツルさんに寄せよう」
全員の音程を取った後、彼女はこう言ったのである。
「え?エスクラは基準に『合わせる』役割やから、基準音にはせんほうがええよ」
と忠告したが、みんな次々私の音を聴きに来て合わせようとする。
なんか違う・・・。
つまり、一方では音程悪いと言われ、一方では音程正しいと言われている。
私自身はエスクラリネットの音程には自信がない。
「素人は音程正しい人なんていません」
と言い切った、師匠のK先生の言葉も脳裏に深く刻み込まれている。
正しい?正しくない?は問題ではない?
どうすればいいんだろう。ずっと迷っている。
疲れて口が締まるから。難しい楽器だから。本当は周囲の音程が悪いから。それに気づいていないから・・・言い訳はごまんと出来る。
下手な自分を自認しているつもりなのに、ちっぽけなプライドを守ろうと足掻く自分の姿が言い訳の中に見える。それを疎ましく思う自分もいる。そしてそこを鋭く突いてくる人を嫌な人間だと思ってしまう、浅ましい自分に呆れもする。
でも言い訳をしてみたり、人を恨んでみたりしたところで、問題は何も解決しない。要は私が自分の音程感覚と音程のコントロールに自信を持つことが必要なのだ。
「言い訳して、上手くなりますか?あなたはその言い訳をお客さんに向かって舞台から言うんですか?」
「落ち込んでる暇があったら練習しなさい」
K先生の言葉が頭に蘇る。そうだよなあ、と思う。
現在、目隠しをして崖っぷちを歩いているような気分で日々練習している。自分の音程も、周囲の音程も、合わせ方も、全て『正解』がわからないからである。目指すところがどこかわからないのだ。
やみくもに練習するのは労多くして得るものは少ないことが多い。
K先生とは遠く離れてしまったけど、やはり誰かに師事すべきではないか、と思い始めている。
体力的にはきついだろうけど、その方が自分が楽しいような気がする。
身体と相談だ。