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熱をはかる

夫が風邪を引いた。『微熱がある』といってしんどそうにしているが、食欲は普通にあるので心配はしていない。
向かいの席の同僚から貰ったに違いない、あいつは咳ゴホゴホしてる癖に会社に無理して来よる、ホンマに迷惑や、とブツブツ言っている。
いつものことなので、ふーん、といい加減な返事をしておくことにする。

夫はちょっとしんどいと、マメマメしく熱をはかる。そして表示された体温を見るや、
「三十六度六分や!オレの平熱は三十六度三分やから、今のオレは発熱している!えらいこっちゃ!しんどい筈や!」
と大騒ぎする。
よく知らないけれど、人間の体温なんて常に一定の筈がないと思うので、三十六度六分でも熱なんかないやん、と私なんかは思ってしまうのだが、夫はそうではない。頑なに自分は発熱状態で大変だ、と主張して譲らない。
以前はこういうセリフを聞くと、
「そんなん、たいしたことなんやん。平熱の範囲やん」
と言っていたのだが、その度に猛抗議を受けるので面倒くさくなり、最近はあ、そう、大変やね、とのみ返答することに決めている。

あまりにも頻繁に熱をはかるので、まだ体温計に前回はかった熱が残ってホカホカしている状態でもはかってしまう。
こういう時は正確な計測が出来ない。時折はピーという電子音がして、
『まだはかるの早いでっせ。もうちっと冷めてからにして下さい』
と体温計に断られてしまっている。当たり前だ。
それでも夫はめげない。
「チッ、早う冷めろ」
と言いながら、一生懸命体温計を冷まそうと、涙ぐましい努力をする。氷枕の下に置いてみたり、ブンブン振り回してみたりする。
こんなに色々行動できる段階で既に病気ではないのでは、と思ってしまうが、口が裂けても言わない。

姑もよく熱をはかる人である。
姑の場合は夫とは逆パターンだ。『いかに自分の身体が冷え切っているか』を主張する為にはかる。
そして電話をした私に訴える。
「ミツルさん、私実はな、今日熱はかったら三十四度しかないねん」
思わず吹き出してしまう。
「お母さん、それ死んでますやん。はかり間違いと違いますか?」
と笑いながら言うと、姑は大真面目に
「いや、私は冷えたらこうなるねん。もう冷え切って冷え切って、どもならん」
といつもの調子で繰り返す。どうしてやりようもないので、ふんふん、それは大変ですね、と聞くしかない。
自分のはかり間違いとか、この体温はちょっとおかしいとかいう考えは、微塵も浮かんでこない様子である。
親子だなあ、と妙なことに感心してしまう。

私が子供の頃は、軽い風邪を引いたような感覚がある時でも、熱がなければ学校には行かされていたから、
「熱、はかってみなさい」
と言われると、しめたと思って少しでも熱が高く表示されるように、こっそり口の中に体温計を入れてみたり、少しでも熱そうな場所を探して体温計を突っ込んでみたり、と虚しい努力をしていたものだった。
しかしそんな拙い悪だくみは、とっくの昔に母にはお見通しだったようだ。体温計が多少高い温度を示していても、ちょっと首を傾げてさっと手を額に当てると
「ん、どうもない。学校、行きなさい」
と急きたてられ、渋々布団を出るのが常だった。

この経験のせいか、私はあまり頻繁に熱をはからない。はかったところで状態が良くなるわけでもないし、本当に熱が高い時は、脇の下に入ってくる、ひんやりした体温計の感触は嬉しくない。
ああ、今これくらいか、という状況把握のためにのみ、はかっているのである。
でも私がちょっと『しんどい』というと、夫は
「熱、はかってみろ」
と体温計を手に迫ってくる。
熱があれば私以上に大騒ぎする。早く寝ろ、大体お前は夜更かしが過ぎる、朝も早すぎる、とイチイチ人の行動パターンに注文を付ける。ちょっと面倒くさい。
お気持ちは非常に有難いが、大きなお世話である。放っておいて欲しい。

夫は少しずつ良くなっているようだ。少し前まで頻繁にやっていたが、もう熱をはかることはなくなった。
忙しい週だったから、今日明日はゆっくりしてね。