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方言に慣れる

私の出身県では、「私達」の事を「あが」と言う。両親が違う県の出身だったので、聞き慣れない言葉に最初は?だった。「要するに英語のWeよ」と言われて納得した。おそらく「我が」の進化系?だろうと思う。聞きようによっては「武家言葉」みたいである。正確に言うと、「私とあなた」の事で、更に対象人数が増えると「あがら」となる。自分で使いこなす事は出来ないが、聞けば理解出来る。

「どちらいか」もこの県の方言で、「どういたしまして」の事である。最初は何故お礼を言って怒られねばならないのか、と戸惑った。相手の表情を見れば悪意のないのは一目瞭然だから、すぐに胸をなでおろしたが、電話やメールだと厳しかったかもしれない。

小学生の時、体育の時間に先生が「はい、股をはちかって!」と言ったのだが、何をして良いか分からず、周りの子を見ると大きく股を開いていた。「はちかる」とは「ひろげる、開く」事なんだ、と周りに合わせて股を開きつつ感心した記憶がある。

北陸では「そうなんですて」と最後に「て」が付く方言を聞いて、一瞬膝の力が抜けた。「他から聞いたバージョン(そうなんですって」ではない。「そうなんです」と「て」の間に“小さいつ”は入らない。なんとものどかな感じだった。地元の人に話すと「え!これが標準語だと思ってた!」と言われ、仰け反った。

尊敬語になるのか、「〇〇してはった」というのは関西の広い範囲で使われる方言だと思う。「しておられた」のライトな言い方である。京都ではケースによっては若干嫌味を含んで使われる事もある。滋賀の一部地域ではこれが「〇〇してらった」となる事がある。初めて「らった」を聞いた時も「へ?」と目が点になったが、次第に頭の中で「ら」を「は」に変換する事が出来るようになった。地元のアニメキャラクター「野洲のおっさんカイツブリ」はこの「らった」を使いこなす名人である。

京都の宮津の方の知り合いが、「収納する」事を「なつめる」と言っていたのもびっくりして聞き咎めた事がある。本人の説明だと、おそらく「納」の字を充てるのでは、ということだった。これも本人は「一般には言わないんだね⁈」とびっくりしていた。

方言は慣れると頭の中で、旧知の言語への変換が早く出来るようになる。たまたま色んな地域に住む人生になったが、その土地の人々の生き方というか、歴史みたいなものが見える気がする。今度はどんな土地でどんな方言に出会うのか、楽しみだ。