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勝者はいない

先日、ウクライナのゼレンスキー大統領がNHKの単独インタビューに答えているのを、家事をしながら見ていた。
その受け応えを聞きながら、少し気になった事がある。
大統領が繰り返し述べた『ウクライナの勝利』という言葉である。

現在、日本にもたらされているこの戦争に関する情報をみる限り、一連の戦争はロシアによる暴挙であり、どんな理由があっても許される事ではない。
重大な人権蹂躙であるし、人道危機である。
ここまでは、概ね正しいと思う。

ただ、私個人は『ウクライナがロシアに"勝つ"事』を望んでいるのではない。
『この戦争が一刻も早く平和裡に"終結"する事』を望んでいる。

昨今目にする報道は、『ロシア憎し』に偏っている気がする。『悪者』を作りたがっているように見える。大衆の意見を、情報提供者側が先導しようとする、押しつけがましい、一種きな臭い雰囲気を感じているのは私だけなのか。

悪いのは『ロシア』という国でも、国民でもない。
例えプーチン氏を賛美している人がいたとしても、それは自由であって、その意見だけで弾圧される事はあってはならない。
個人の思想信条は、世界中何処でも自由であるべきなのだから。

なのに、駅のロシア語表記を不快だから覆い隠せとか、わけのわからない事象が起きている。そんな事をウクライナ国民が望んでいるとは到底思えない。行き過ぎた判官贔屓と言おうか。
情けない事だ。そんな意識だから、戦争はこの世からなくならない。
なんとも嘆かわしい。

ロシアの政治に絶望した外交官が辞職したというニュースも伝えられたが、どこか嬉しそうな、鬼の首を取ったような報道に感じたのは私だけか。

今、両国民は勿論、世界中にこの戦争の継続を望んでいる人は殆どいないと思う。
この戦争で被害なく恩恵を受ける、一部の人達を除いては。

私が知りたいのは、『事実』のみである。その後の『解釈』の提供は不要だ。なぜなら、それは各個人の内心の領分だからだ。

ロシアが何をしたのか、その理由は何か。ウクライナの国民がどういう状況下にあるのか。ロシア国民はどうか。
出来るだけ多くの『事実』を知って初めて『自分の意見』が産まれる。

池上彰氏が大モテなのは、この辺りがわかりやすく明確だからだ。
勿論、自分の不勉強を恥ずべきなのは百も承知である。
冷静で、客観的な情報を多く得たいと願っている。

どの『戦争』にも『勝者』はいないはずだ。
この世にたった一つしかない命が失われる。
ロシア兵が一人死ぬのも、ウクライナの民間人が一人死ぬのも、どちらかが『歓迎すべき死』として扱われるなんてことは絶対にない。
固有の文化が失われる。
人と人がいがみ合う世の中が醸成される。
それは人類全体の大きな『敗北』であると思う。