見出し画像

葛湯

私はぬちゃぬちゃドロドロした食べ物を好むので、両親や妹、夫からも変な目で見られることが多い。私の身内は皆こういった食べ物を嫌う。親が好きなら子供も、ではないようで、子供も小さいころからお粥や長芋ですら嫌がる。

数あるぬちゃぬちゃした食べ物の中で、私が特に好きなのは葛湯である。特に暖かいものが恋しい季節になってくると、猛烈に葛湯が飲みたくなる。ココアなら可愛くてお洒落で、ちょっとそこらのカフェで…ということも出来ようが、葛湯ではそうはいかない。
家で炬燵に入って、夫の”ようそんな不味そうなもん飲むわ”という視線を横目にホクホクしながら一人、スプーンでかき混ぜて葛湯を飲むのは私にとって至福のひと時である。

葛湯は本当の「葛粉」で作るのが美味しい。市販の安い「葛湯」と称する商品の殆どは「片栗粉」や「コーンスターチ」が主成分で、実は「葛湯」ではない。
母方のグルメな祖母が私の好みをよく知っていて、
「ミツルはこれが好きやろ」
と時折奈良の吉野葛の葛粉を取り寄せて送ってくれたことがあったが、これよりおいしい葛粉はないと今でも思っている。
色を付けなくても、小豆の粉やおかきの粒々を入れなくてもいい。葛粉と砂糖だけで十分美味しい。
なぜこんなに葛湯が好きなのか考えてみると、幼いころの記憶に思い当たった。

私は大変病弱な子供で、同じ風邪を引いても二、三日でケロリと軽快してしまう妹と違い、ぐったりと何日も寝込んでしまったり、点滴を受ける騒ぎになってしまったりすることが多かった。だから私が熱を出すと、母は妹の時より明らかに緊張し、臨戦態勢になった。神経の細かい私はその母の緊張をとても気詰まりなものに感じて、ああどうしよう、またお母さんを困らせてしまう、不機嫌にしてしまう、私はどうしてこんなに身体が弱く産まれついてしまったのだろう、と焦って、身体だけでなく気持ちをも追い込んでいた。
だから大慌てで病院に連れていかれる時など、心身ともにぐったりしていた。

点滴などの処置を終えて病院から帰ってきて、敷きなおしてもらった布団に横になっていると、しばらくして母が葛湯を持ってきてくれることがあった。勿論、ウチに葛粉など常備していないから、片栗粉に砂糖を入れてお湯で溶いた「葛湯もどき」である。
布団に上半身を起こし、背を丸めて暖かい葛湯を少しずつスプーンで口に運ぶ。その背中に母がこう言いながら、自分の上着をかけてくれる。
「どうえ?ちょっとは食べられるか?無理せんでええからな」(※どうえ?=どう?の意の京都弁)
こんな時の母は、一仕事終えたような安堵の表情を見せるのが常だった。
心配はしたが医師には診てもらえたし、取り敢えず子供は今は落ち着いた様子を見せている。何かを口にしようという欲も出てきたようだ。そんな状況からくる、親としての自然な気持ちの表れだったのだろう。

私がひとさじずつ口に運ぶのを、母は大抵最後までそばで見守ってくれた。そして食べ終わった私が、
「ああ美味しかった」
と満足そうにスプーンを置くと、
「こんなもんが美味しいなんて、可哀想に」
と頭を一撫でして鉢を下げ、もう寝なさいね、と布団を整え、部屋を暗くして出て行った。
シンとした部屋の中でも不思議と孤独感は感じなかった。

症状の酷い時はこの葛湯すら受け付けない状態だったから、母がこれを作ってくれるのは大抵症状が回復途上にある時だった。
葛湯を食べる時は、自分でも「ああ、食べ物を口に出来るようになってきたなあ、私元気になってきたんだなあ」という喜びを感じていたのだろうし、何より症状が回復していく私の様子を見て、徐々に緊張を解いていく母の表情を見ているのが嬉しく、力になった。
だから私は葛湯に良い思い出しかないのである。

母は、私の病弱は神経質な育児の所為だ、と小児科医から直に指摘されたこともあるそうだ。だが今、それを聞いてもなんとも思わない。
諸般の事情を考えると医師の意見は正解だったのだろうとは思うが、だからと言って指摘した医師や母をどうこう思う気持ちは起こらない。ただ遠い遠い昔からの流れで、そういう事実が起こるべくして起こっていたんだな、と思うだけである。そしてその流れに乗って私も母と同じように戸惑い、迷い、子育てをしてきて、いっぱい悩んで、躓いて、後悔もしてきたんだと思う。
そういう小さな小さな事実の積み重ねの遠い遠い延長線上に、今の私の幸せがあると思っている。

結婚して以来、自分で食べるために何度か葛粉もどきを作っては見たが、不思議と子供の頃に食べたものほど美味しいと思う物を作ることは未だに出来ていない。
子供の頃にあんなにおいしいと感じたのは、病気のせいだけではなく、母の安堵した顔がそばにあったからなのだろうな、と思う。

美味しい葛湯が飲みたい季節になった。