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素直な人

同じ楽団のAさんは私と同い年で、同じ楽器をやっている。私と最初にタメ口で喋ってくれた人でもある。
といってもAさんは学生時代からやっているから、キャリアは私なんかとは比べ物にならない。通っていた高校の吹奏楽部は全国的に有名で、関西に居た頃から私も名前を知っているくらいの強豪校である。
人気者でAさんの周りには年齢性別問わず、いつも色んな人が集まってくる。サバサバして、気前が良くて、活動的で明るい。一緒にいると自然と笑顔になってしまう彼女の人柄に惹かれる人は多い。私もその一人である。

あちこちで引っ張りだこの彼女だが、時折
「ねえ、ちょっと帰りご飯一緒に食べようよ」
とか
「帰り、送ったげるよ」
と言って、私と二人きりになろうとする時がある。喜んで有難くご一緒させてもらうのだが、そういう時のいつもの彼女とはちょっと違っている。『本音』を見せてくれるのである。
先日もコンクールの帰り、
「ねえ、ミツルさんお昼どうすんの?どっか行かない?」
と声をかけてくれたので、気軽にご一緒させてもらった。単純にお腹が空いていたというのもあるが、何か話したいことでもあるのかな、と感じたからでもあった。
酒豪の彼女はしっかりとビールを、私はジュースを頼んで、二人して「お疲れさん」と乾杯した。
「あたしさ、ここんとこずっとよく眠れなかったんだよね。本番無事終わって、やっとぐっすり眠れるかも、って思ってる」
ホッとした顔で言うので、ちょっと意外だった。
「平気そうに見えるけど?」
「ウソォ、凄く緊張してたんだよ!!ミツルさんはそんなことなかったの?」
彼女は上半身をテーブルに乗り出して憤慨した。

実は私は本番に緊張しない人である。ずっと以前からそうだ。流石に『ラプソディー・イン・ブルー』のソロの時は視界がホワイトアウトするくらい緊張したが、その時以外は多分一度もない。ソロがない時なんて、全然緊張しない。
そう話すと、
「え!いいなあ!!私、ご飯も食べられないんだよね」
とAさんは言う。
「私、食べんとエネルギー切れて吹けなくなる」
と私が言うと、
「まじでー!そういう人もいるんだね」
とAさんは目を丸くした。
「腹いっぱい、は食べへんけどね」
「じゃあ、カロリー随分消費したし、食べよう!」
美味しそうなチャーハンセットに、二人して舌鼓を打った。

「○○さんが苦手でさ」
食べながら彼女がポツンと口にした人の名は、ちょっと意外だった。確かにちょっと癖のある人ではあるが、そんなに嫌な人でもないような気がする。
「まあ、分かる気もするけど、私はそこまででもないかな。どうして?」
私の問いに、
「苦手・・・って思ってしまう、あたし自身が嫌なの」
と彼女は頬杖をついて苦笑した。
私はちょっと感動した。なんて素直な人なんだろう。他人は自分の鏡だ、ということを腹の底から理解している人は案外少ない。こういう時は大抵、「その人が悪い、許せない」と言う人が大多数だ。そういう風に言いはしない。彼女はちゃあんとわかっている。凄いなあと思った。

私は本番でも緊張しない、とさっき書いた。そう思っていた。
が、実はコンクール前の数週間、私の眠りは大変浅かった。それを「コンクール前で緊張しているからだ」とは思わず、「いつもの睡眠の、眠れないサイクルの順が巡って来たのだ」くらいに思っていた。
ところが、コンクールが終わったと同時に昼間からでもうたた寝が出てしまうくらい、グウグウ眠れるようになった。心と身体の緊張が取れたのに違いなかった。
なんのことはない、私は強がっていただけだったのだ。平気だよ、私は緊張なんてしないよ、余裕だよ、とうそぶいて平気を装っていたのだ。本当は緊張していたのだ。なんて格好つけの強がりさんなんだろう、と笑えた。
そして、「ご飯も食べられない、眠れない」と口にしたAさんの素直さと正直な人柄に、彼女が多くの人に好かれる理由を見つけた気がした。

人柄は言葉に滲み出る。
素敵な友人を得ることが出来て、私は幸せだなあとしみじみ思う。
私の伸び代はまだまだいっぱいある。