方言バイリンガル
私の出身県には、『敬語』に該当する方言が存在しない。
普通に学校などでは常識として習う。目上の方には『ございます』、丁寧に言う時には『致します』を使い、謝り方は『申し訳ございません』であることは、知識としては皆習得している。
しかし、知識は活用できてこそ活きる。残念ながら、ここでは多くの方々が、敬語に関する自らの知識を活かせていない。
普段話す言葉とは別物になってしまっている。
典型的な例を挙げてみよう。
この県出身の落語家、桂 文福さんが、師匠の桂 文枝さん(現)に弟子入りを願い出た時のことを、ラジオで語っておられたのを聞いたことがある。
彼は師匠に向かっていきなり、
「おいやん、弟子にしてけー」
と切り出し、大目玉を食らったという。多少脚色はあるかも知れないが、ご本人が話しておられたのだから本当だと思う。
『おいやん』は『おじさん』の、『してけー』は『してくれ』の、この地方独特の砕けた言い方である。
重要なのは『して下さい』という丁寧な言い方を言い換える言葉が、この地方にはないということだ。どんなに頑張っても、どんなに丁寧な物腰で接しても、口では『してけー』というしかないのである。
きっと文福さんも、精一杯丁寧なつもりで言ったのだろう。しかしこの県の言葉の特性を知らない者にとっては、ただの礼儀知らずとしかうつらない。
笑い話にしておられたが、きっと他にも数々の『常識』を覆された経験をされたのではないか、と想像している。
歌手の坂本冬美さんも同じ県の出身である。
ある番組に出演した時、
「あのね、ウチの県には敬語がないの!県知事に向かってでも、『知事さんよお!』って友達みたいに喋るんだよ!本当なんだから!」
と共演者に力説していたが、しっかり理解できている方はいないようだった。
確かに敬語が存在しないなんて、普通はちょっと理解不能だろう。
信じられない、という風に失笑する共演者を観つつ、画面の前の私だけは、
「そうそう、そうやねん!」
と一人、力強く頷いていた。
だから、うちの両親はここの方言を使うことを厳しく制限した。『こんな言葉を遣っているようでは、まともなところに嫁げない』と言われ、ちょっと遣うと直ちに言い直しをさせられた。
しかし子供というのは柔軟性があるものだ。
私達姉妹は学校に居る時や、近所の友達と遊ぶ時は方言で話し、家で家族と居る時は、我が家の標準語である京都弁を遣った。
ある意味『バイリンガル』だった訳である。
家に友達が遊びに来た時はややこしかった。
友達と部屋で喋っていて、たまたまトイレなどで出てくるとたちまち母に捕捉され、
「あんた、なんちゅう言葉遣いしてんの。女の子やのに」
と小声で叱責を受けることも多々あった。
怒られることがわかってはいても、友達との共通言語は方言でしかなかったから、話すのを止める訳にはいかなかった。
そんな理由もあって、当時私はあまり友達を家に招かなかった。
両親にとっては馴染みのある言語だった京都弁だが、私には『おじいちゃんおばあちゃんが話す言葉』であって、身近とは言い難かった。
母はどんなシーンであろうと、京都弁を貫いてきた。というか、幼い時から身にしみついているので、これしか喋れないのだ。
ママさんバレーをしていた時、次の人にパスを回す前に
「行くえー」
と言い、敵のボールが来れば
「来たえー」
というので、チームメイトや監督から
「力抜けそうや」
とよく笑われていたが、母にすれば大真面目だったのだろう。
北陸、関西、関東と渡り歩いたせいで、私の話す言葉には、少しずつその地の言い回しが入っている。一体どこの言葉を喋っているのか、自分でもよくわかっていないような時もある。
母のように、身に染み付くほど馴染んだ言語がないのである。
どうなんだろうか、と思わないこともないが、これはこれで、私らしくて良いような気もしている。
ただ、敬語はやっぱり話せた方が良いと思う。社会に出てから困らない。
厳しすぎるきらいはあったが、この点については今でも両親に感謝している。