ヤバくない?
少し前になるが、二駅ほど向こうにある百貨店に買い物に行った時のことである。
エスカレーターで私の二、三段前に立っていた女子高校生と思しき二人の会話が聞こえてきた。
「ねえ、大谷ヤバくない?」
「ヤバいよね。十億だってさ。想像つかないよね」
「だね。何に使うんだろうね?」
「この百貨店余裕で買えちゃわね?」
「だよね。もうどっかの国家予算レベルじゃね?」
「だよね」
丁度大リーグの大谷翔平選手が移籍を決めた頃だった。
関東弁のイントネーションがとても無邪気で、可愛く思える。興奮気味の二人のやりとりに、思わずマスクの内側でそっと微笑む。
確かに『ヤバイ』よねえ。
ほのぼのした気分になって店を後にした。
県のアンサンブルコンテストを聴きに行った時のことである。
私の所属する団のチームの出番直前、若い女の子数人のグループが会場に駆け込んできて、私の二列ほど後ろの席に座った。手に手に楽器ケースを持っている。さっきまで演奏していたチームの出演者だろうな、と思って後ろをちらりと見た。彼女たちは本番を終えた安心感と、ゆっくり他人の演奏を聴けるワクワク感にあふれていた。全員笑顔だ。
お疲れ様、納得のいく演奏は出来たのかな、と心の中で声をかけていると、ほどなく演奏が始まった。舞台に集中することにする。
演奏終了後、拍手をしながら彼女たちが喋っている声が、私の耳に聞くともなしに入ってきた。
「ね、フルートヤバくない?」
「マジマジ、めっちゃヤバかったよね」
このグループのメンバー、フルートのSさんはかなりの上級者である。コンクールの時も、名だたるプロの演奏家に『素晴らしいソロでした。ブラボーです』などと講評に書かれてしまうくらいの腕前だ。
今回のアンサンブルでも彼女は抜群の安定感で、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。やっぱSさん凄いなあ、と思いながら私が拍手していたら、彼女たちのこんな感想が聞えてきたので、思わずニヤニヤしてしまった。
ウンウン、この人本当に『ヤバイ』よねえ。
私自身は実際にはこういう『ヤバイ』の使い方はしたことがない。というか感覚的に出来ない。国語的に間違っていると思うから、といった野暮な理由ではない。
人がある言葉を発する前は、脳内でその言語が巡っていると思うのだが、私の思考回路の中にはこういう意味の『ヤバイ』は存在しない。私が『古い人間』だから、である。
私なら『凄い』と言うところだ。
しかい『凄い』という言葉には評価が入る。誰かから与えられる『お墨付き』である。
「大谷、凄くない?」
「あのフルート、凄くない?」
と言えば、
十億なんて額をプレーヤーとして手にするなんて大谷選手は素晴らしい。驚きだ。
こんなそつのない演奏を披露できるなんて、このフルート奏者はなんて上級の技量を持っているんだ。
と言った具合だ。
全ての評価には基準がある。『凄い』という賞賛は対極に、『凄くない現実』があることを示している。
『それを発言した人間』が、『これは並大抵でない、普通でない、現実的でない』と『評価』していることを同時に表しているのだ。だからその人間の評価基準みたいなものがどうしても透けて見えてしまうように思う。
穿ち過ぎだろうか。
『ヤバイ』をどういうシーンで使うか、についての調査結果は、世の中に掃いて捨てるほど出されている。全てに目を通すのは不可能なのでざっくりとしか読んでいないが、それによると『びっくりしている』『感動している』といった意味だったり、或いは単に意味などなく、ただ『びっくりした』『感動した』と言う状態を示す為にのみ使われることもあるという。
『感動』や『驚き』を表す『ヤバイ』には、『凄い』にある『発言者の評価』が入っていない。そしてどことなく戦慄するような、ピリッと空気が引き締まるような、『凄い』にはない独特の雰囲気がある。
最初に『ヤバイ』をこの意味で使用した人は、なんて言語的センスのある人なんだろうと思ってしまう。
Sさんに『「フルート、ヤバくない?」って言われてましたよ』と言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。謙虚な彼女のことだから、きっと『まだまだです』って言うんだろうな。
そのうちNHKのアナウンサーも使いそうなくらい、あちこちで聞かれるようになった『ヤバイ』と言う言葉。自分で使うことはないだろうけど、私にとってはこんな具合で、不思議と耳に心地良い言葉なのである。