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『好き』のパワー

私は一般的なサイズよりやや小さい手をしている。
普段の生活では何ら問題ないが、楽器を演奏する時には不利なことである。
例えばピアノでオクターブ違う音を同時に押さえる場合、親指と小指を精一杯開かねばならないのは誰でも同じだと思うが、私の場合、鍵盤の外側にぶら下がるような格好で弾くことになってしまう。ゆっくりした曲ならまだいいが、速い曲だと対処できない。昔習っていた頃は、このせいで随分苦労した。
ロシアの作曲家でピアニストのラフマニノフは信じられないくらい大きな手だったそうだ。だから彼は当たり前のように届くものとして、とんでもなく離れた音を同時に押さえるように書くらしい。小さな手でなくても大変だ、と聞いたことがある。
反田恭平さんだったか、藤田真央さんだったかが『ラフマニノフ筋が付くんですよ』と話しておられたくらいだから、よほど大変なのだろう。

私の場合今はピアノは弾かないけれど、普通のクラリネットでも小さい手だと結構難儀することがある。吹く分には問題ないが、支えるのにちょっと苦労するのだ。
楽器を握りしめるような感じになってしまうと、スムーズにを動かすことが出来ないので、演奏に支障を来す。身体に無駄な力も入ってしまうから、要注意である。
楽器を始めた頃は酷い肩こりと右手の痛さに悩まされたものだった(今でもないことはないが)。構える時の右手の角度と親指の位置にちょっとしたコツがあり、小さい手でも十分対処できることが分かってからは、苦しむことはなくなった。長年のことで身体が勝手に楽な態勢を取るようになっている。長時間の練習をしない限り、今はもうすっかり大丈夫だ。

バスクラリネットは、小さな手の人間にとってはちょっと大変である。
最低音のドを押さえる時は、嫌でも楽器を握りしめる状態になる。押さえるキーが多く、その上遠く離れているからだ。両手を精一杯開いて、普段はあまり使わない右手の親指もぐっとキーを押さえるから、手の甲まで伸びる感じがする。
最低音のドは、吹奏楽に於いてはあまりバスクラに要求される機会のない音ではある(チューバやバストロンボーン任せ)が、譜面に書いてあるときは『絶対に欲しい音』に違いないので、必死で鳴らすことになる。
ウチの楽団のバスクラのSさんは、私より更に手が小さい。『モミジのような手』という感じの、プクプクした可愛らしい手だ。この小さな手で演奏するのはさぞかし大変だろうと思うが、Sさんは凄く上手い。
まだちゃんとお話させてもらったことはないが、どんな工夫をしておられるのか、ちょっと聞いてみたいと思っている。

N響のコントラバス奏者、矢内陽子さんも非常に小さな手をしておられる。
テレビで拝見してその小ささに驚いた。
あの小さな手ではアマチュアでやっていくのも大変なのに、プロの、しかも日本最高峰のオーケストラのメンバーになられるにはどんなご苦労があったのだろうと思う。
『大変だけど、色々工夫して弾くのが楽しい』と笑顔で仰っていたのがとても印象的だった。

私の担当するエスクラは、小さな手の方が有利であると思う。
トーンホールの間隔が狭いので、大きな手の人は指が邪魔になってしまうらしい。
おかげで今は快適な感じで吹かせてもらっている。
小さい手の方が良いこともある、極めてまれな楽器だ。
音程など難しいことは多々あるけれど、私の体格には合っているのかも知れないと思う。

こうやって見ていくと、楽器を演奏するには身体が大きい方が圧倒的に有利なことも多いけれど、工夫さえすれば快適に演奏することも出来る、ということが言えると思う。
そうやって『工夫』することを苦痛と感じるか、ちょっとした楽しみと感じるか、はその人がその楽器を『どれくらい好きか』にかかってくると思う。
『好き』であることは全ての原動力なのだ。『好き』のパワーは凄い。