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野菜ジュースが恋しい時

ちょっと凹んでいる。
といっても明日の朝、美味しい野菜ジュースをクイッと飲み干せば、忘れてしまいそうなくらいのことなのだが、心に小さな小さな棘が一本、しっかりと刺さっている。

きっかけは夫との会話である。
ひょんなことから、都知事選の話題になった。
「小池さんはホンマに選挙上手やねえ」
私が感心していうと、夫はホンマにな、と頷いて
「蓮舫さんはイメージで損した部分が大きかったんと違うか。評論家のH氏が『彼女は生理的に嫌われたのではないか』って言うてたけど、オレもそう思うわ」
としたり顔で言った。

この『生理的に嫌われた』という行と、そのH氏の意見に何の異を唱えることもなく同意した夫双方に、反射的にどうしようもない嫌悪感を覚えてしまった。
ものの感じ方、考え方は十人十色。夫がどのように考え、感じるかは夫の自由である。
そんなことは分かり過ぎるくらいよく分かっている。
それでも私はとてもがっかりして、悲しい気分になってしまった。

私は何にがっかりしたのだろう。
風呂にゆっくりと浸かりながら、あれこれと考えてみた。
私は別に蓮舫さんのファンでもないし、応援も全くしていない。支持政党も特にない。
しかし、私がもし公衆の面前で『この人は生理的に嫌われたのだろう』なんて言われたらどう思うだろう。きっと滅茶苦茶悲しくて、腹立たしくて、『じゃあどうしろっていうの、放っておいて』と叫びたくなるに違いない。
そんなデリカシーのない意見を公的に言える人間の考えなんて、聞くに値しないとすら思う。

なのに。
我が夫はその意見に、いとも安易に『自分もそう思う』と理解を示したのである。
胸に沸き上がる、このどうしようもない虚脱感。夫にどう説明したら良いのだろう。

夫に百パーセント自分と同じ考えでいてくれ、とは言わない。私の考えが正義だなんて、押しつけは出来ない。
しかしある一定程度の知性と倫理観と常識と思いやりを兼ね備えていれば、こんな胸の悪くなるような意見に易々と同意することはない筈である。
私は自分が生涯の伴侶として選んだ人が、こんなしょうもないことを言ったのがショックでならなかったのである。

私は夫の意見に賛同できない時は、完全に黙り込む。
怒っているのではない。自分の非を絶対に認めない夫と言い争いをしても、時間とこちらの精神がいたずらに消費されるだけで、何も生み出さないことを知っているからである。
夫もそれを分かっているから、私が黙り込むと落ち着きなく
「なんやなんや、何が言いたいんや」
と答えるまで質問攻めにする。
この日も私はいつものように黙り込み、夫は質問を始めた。
いつもならはぐらかすが、この日は何故か一矢報いたくなった。

「私、蓮舫さんよりH氏の方がよっぽど『生理的に受け付けへん』わ。あの人、自分のこと棚に上げて、よう平気でそんなこと言えるね。元々政治家やけど、政治的な論点は全くないの?それってただの偏見やないの?そんな人の意見、私やったら聞く気にならへんけど、あんたは納得するんや?へええ。ま、私には関係ないけど」
夫は予定通りムキになる。
「だって、蓮舫さんは『二番じゃダメなんですか!』とかって、鬱陶しいやん。ああいうの、好かれへんと思うわ」
全く分かっていない。益々悲しくなった。これが『私の』生涯をともに生きていく伴侶なんだ。
もう何も言う気になれず、黙って食事の後片付けをし、二階の自室に引っ込んだ。

どう考えても感情的で、一切の論理的思考を排除した意見。
それに安易に同意してしまう、我が夫。
そんな夫とこれまで共に歩んできて、これからもついて行こうとしている私。
全部全部、ただ情けなくて、二階の自室で床に寝そべってゴロゴロしながら大きなため息が何度も出た。

誰かを貶めるような発言は大嫌いだ。
それに同意する人間は、一緒になって貶めているのと同じだ。心から軽蔑するし、哀れにすら思う。
そんな当たり前すぎることが分からないなんて、なんて愚かな人なんだろう。
私が夫に過大な期待を抱きすぎていた、ということなんだ。
愚かな自分も悔しい。

私の期待通りでなくても、これが我が夫なのだ。
愛するとは、私にとってなんと難しいことなのだろう。
朝から湿度が高い。
野菜ジュースが恋しい。






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