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こじらせスイーツ男子

父は私が子供だった頃、娘や妻が甘いものを食べて喜んでいると、
「ようそんな甘ったるいもん食うなあ。ワシは嫌や。第一、歯に悪い」
と言って顔を背け、同じテーブルにつこうともしなかった。
実際に父がお菓子などを食べる所など、見たこともなかった。私達の誕生祝いのケーキですら、父だけは食べないという徹底ぶりだった。だから私は長い間、父は甘いものが嫌いな人なのだ、と思い込んでいた。

何歳ごろだったのかは失念してしまったが、その日母と妹は何かの用事で不在で、家には父と私だけがいた。多分休日だったと記憶している。
「水屋に鈴カステラがあるから、おやつに食べなさいね」
と母から聞いていた私は宿題を済ませた後、二階の子供部屋を出て一階の台所に降りて行った。
台所に入ると、立っている父の背中が見えた。何をしているのかな、と見た瞬間、父の手に握られているものが目に入って、私はちょっと驚いた。
鈴カステラであった。
しかも、一つや二つではない。父の大きな手に、三、四つの鈴カステラがしっかりと握られていた。
父は学生時代に野球をやっていたせいか、丸いものを握る時には人差し指と中指を立てて、変化球を投げる時のような握り方をする。鈴カステラもその握り方でしっかりと父の手にホールドされて、父の手の中でぎゅうぎゅうにひしめき合っていた。

甘いものは食わん、あんなものは女子供の食うもんや、と公言して憚らない父が、砂糖をまぶした甘い菓子を三つも四つも握りしめていたものだから、私は目を丸くした。
目が合うと、父は気まずそうに目をそらした。私も見てはいけないものを見たような気がして、上目遣いに父を見た。
すると父は黙ったまま、鈴カステラを握りしめた手を口元に持って行き、あろうことか大きな口を開けて、全てを一気にほおばってしまった。私は呆気に取られた。が、冷やかしたり笑ったりしようものなら、日頃厳格な父の鉄拳制裁がこちらに飛んでくることはほぼ間違いなかったから、何も言わずに見ているだけしか出来なかった。

あんまり一気にほおばったものだから、父はエサを頬袋にためているリスのような顔になった。そんな間抜けな父の顔を間近で見たのは初めてだった。
やがて父はおもむろに湯飲み茶わんに茶を注いで、モグモグしながらすすった。鈴カステラは一つでも口の中の唾液が減ってしまいそうな食べ物なのに、あんなにいっぱい、しかも一口で食べてしまっては、きっと口の中はカスカスだっただろう。
モグモグしながら父は居間に行ってゴロンと横になり、いつものように肘枕をしながらテレビを観始めた。
ここにきてようやく、私は自分が鈴カステラを食べようとして階下に降りてきたことを思い出した。水屋の中の袋に手を伸ばして驚いた。
鈴カステラが激減している。
ということは、父はあれが『初犯』ではなかったということになる。じゃあお父さんは甘いもの食べるのか。でも嫌いじゃなかったっけ??
私は当惑しつつ、残りの鈴カステラを大切に食べた。

もう大人になった頃、父にこの時の事を訊いてみたことがある。
「なんで、あんなに一気に食べたん?」
と訊くと、
「ウマいからや」
と小憎らしい答えが返ってきた。
「お父さん、あの頃甘いもんキライって言ってたやんな?」
と訊くと、
「洋菓子が嫌なだけや。和菓子は昔から好きや」
とこれまた初めて聞く話が出てきて、思わず吹き出してしまった。
鈴カステラは和菓子なんだろうか。ちょっと怪しい感じがする。

どうも昔の父は
『男たるもの、婦女子と一緒に甘いものを食べて興じるなんて恥ずかしい』
と言ったような古めかしい固定観念に縛られていたものの、本当は甘いもの好きな、『こじらせスイーツ男子』だったらしい。家族中でたった一人の男、という困った状態に、どう振舞うのが正解なのか、父はずっと探っていたように思う。
その後、父の取って付けたような『甘いもの嫌い』的な態度は徐々に緩んでいった。私達が大人になるといつの間にか家族の中にも、
『お父さんは実は甘いもの好き』
という認識がしっかりと定着した。
やがて父は稀にではあるが、私達と一緒にテーブルについてお土産の団子などを食べるようになった。

好きなものを好きだというのにこんなに時間がかかるなんて、つくづく意地っ張りな父らしい。
子供時代に一緒に誕生日ケーキくらい食べてくれても良かったのになあ、とは未だに思う。父も本当は少し後悔しているのではなかろうか。
今は忙しいけれど、少し時間が出来たらこちらで話題のスイーツを手に帰省しようかな、なんて考えている。