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口下手な先生

私は数か月に一度、整体に通っている。普段は大丈夫なのだが、無理が重なると時折、とんでもなく肩が固まってしまうからだ。
整体院は自宅から歩いて10分ほどのところにあるフィットネスジムの片隅の、数畳ほどの広さのこじんまりとしたエリアである。
ドアはなく、ジムとの境目は学校の保健室のようなカーテンで仕切られている。飛び込みでも受けてはくれるが、予約していくのが確実で、コースは30分から90分まである。私はいつも60分コースでお願いしている。

この整体の院長先生はWさんと言って、40代くらいの男性である。
最初にお世話になったのは、引っ越し後間もなくのことだった。荷捌きをやりすぎ、背中が固まってしまったのである。知っている整体院やマッサージ店はないし、しょうがなく検索して出てきたうちの一つがここだった。
息を吸うのも苦しいくらいの凝り固まりようだった為、もう誰でもいいからほぐしてくれい、という気分で向かった。素人にはこれはほぐせない、と思ったのである。

W先生は格闘技でもやっておられるのかな(まあ多分柔道整体師さんですよね)、と思うくらいにムッキムキの凄いガタイだった。なのに顔がめちゃくちゃ小さいので、なにかアンバランスに見えた。
症状を話すとはいはい、と伏し目がちに大人しく聞いておられたが、肩甲骨を触るなり
「よくこんなになるまで、我慢できましたね」
と小さな声でぼそっとおっしゃった。
「そんなにひどいですか…」
「いやあ、なかなかないレベルっすね。背中とおっしゃったけど、腰もきてますね」
ぐっと押されると気持ちいい。歳を感じた。
「急だと痛み出るんで、ゆっくりほぐしますね」
「お願いします…」
そこからは肩甲骨と背中、腰、首回りを重点的にしっかりほぐしていただいた。

施術中、先生は殆ど喋らない。ただ一言、私の言葉のイントネーションに引っかかったのか、
「関西からこられたんっすか?」
とおっしゃった。
「はい、箱根の関を超えて住むのは初めてでして」
「はあ、なるほど。こっちはいかがっすか?」
「結婚以来今まで住んだどこより暖かいですねえ」
「ほう」
「寒いの苦手だから、ありがたいですよ」
「そうっすか」

ここでしばし沈黙が続く。やがて、
「坂が多いのは平気っすか?」
と話の方向が変わる。
「自転車に全く乗らなくなりましたね。向こうでは毎日乗ってたんですけど」
「ほう」
「みなさん、電動自転車ですね」
「ですね。坂、キツイっすから」
「だから殆ど歩いてますよ」
「ですね」

また沈黙。会話が全然続かない。
普通、こういうシーンでは私の中の関西の血が騒いで、なんとか場を盛り上げて、あわよくば笑いを取ろうと口が勝手に動いてしまうのだが、こう気持ちよくほぐされてるとそんなことどうでも良くなってくる。
殆どまどろむような感じでいると、また先生が果敢にも会話にトライされる。
「車って持ってきたんすか?」
「ええ、夫がどうしても乗るって言って」
「そうっすか。じゃあ関西のナンバーのまま?」
「ええ。めちゃくちゃ浮いてますよ」
「この辺はみんな同じ地域のナンバーっすからね」
「ええ、ほぼ一緒みたいですね」
「相模ナンバーはこの辺の人は『相撲』っていって嫌がるんっすよ。『湘南』とか、カッコいいじゃないっすか。それと比べたらねえ」
私は思わず笑ってしまった。そしたら先生はなんだか嬉しそうになった。
関西人にウケたのが嬉しかったのだろうか。

こんな調子で会話は全然弾まなかったが、一時間経つ頃にはすっかり身軽にして頂いて、大変楽になった。肩甲骨の軽さと言ったらない。慣れない引っ越し作業で随分無理をしていたんだなあ、と思い知らされた。
「わあー楽になったあ!ありがとうございます!」
大きく息を吐きながら言ったら、先生は
「良かったっす」
と笑顔になった。

あんなに会話が弾まなかったにも拘らず、その後も私はずっと先生のお世話になっている。腕がいいのが大きな理由ではあるけれど、口数は少なすぎるくらい少ないし、「○○っす」という喋り方も、ぼそぼそした聞こえづらい言い方も相変わらずだし、冬でも半袖からムッキムキの腕がパツパツにのぞいているし…なのだが、なんだか良い人だなあと思ってしまう雰囲気が先生にあるからだ。
人間の魅力って自然と滲み出るものなんだな、と不思議に、面白く思う。そして未知だった土地にも、自分が動きさえすれば沢山の楽しい出会いがあるものだ、と嬉しく有難く思っている。

口下手な先生とのやり取りと、絶妙なほぐし加減が今後も大変楽しみである。