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これでないと

今朝早くにインターホンが鳴ったので玄関ドアを開けると、職人さんらしき風体の男性が一枚の紙を手に立っていた。
「近所で工事をさせて頂くことになりました。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします。なにか不都合な事ありましたら、この番号までご連絡下さい。僕が出ますので」
と丁寧なご挨拶である。
彼は『ご挨拶』と書かれた熨斗紙の巻かれたタオルを差し出し、
「雑巾にでもお使いください」
と笑って帰っていった。

この挨拶などに配られることのある『薄い(安物の)タオル』を、我が家では非常に重宝している。私が、ではない。夫が、である。
ここまで薄いタオルは普通にはなかなか売っていないから、頂けると非常に助かる。
私は風呂の時に身体を洗うタオルを、洗面の時に使うタオルと兼ねている。朝から晩まで洗面や手を拭くのに使ったものを風呂で使い、その後洗濯機に入れて洗うことにしている。特に理由はなく、実家にいる時からこのやり方だったから、世の中こういうルールなんだろうと思い込んでいた。
ところが夫の実家は、この手拭きタオルの管理について非常にアバウト(私から見て)であったようで、家族全員が洗面後も、帰宅後洗った手を拭くのも、同じ一枚のタオルを使っていたらしい。入浴時に使うタオルはこれとは別に、一人一枚ずつ決められたものを用意していたそうだ。

結婚当初、私の実家の習慣通りに「洗面タオルを入浴用に使ってくれ」というと夫は嫌がって、入浴用のタオルを別に用意するように言った。私はその時初めて、家庭によってタオルの使い方は色々なのだ、ということを知った。
用意したことがなかった為、『風呂用タオル』にはどのようなものが適しているのか、全く分からなかった。そこで普段の洗面用と同じ種類のタオルを出したところ、夫には極めて不評で、
「もっと薄い奴が良い。厚くて水を沢山吸うタオルは、重くなるから身体を洗いにくい」
と言われてしまった。
試しに色々買ってみたが、どれも「厚い」と言われてしまって夫を満足させるものにはお目にかかれず、長い間お手上げ状態だった。

ある時、家族で行った温泉旅館でこの薄いタオルが入浴用に出された。
「これこれ、オレが欲しいのはこういう奴やねん」
夫は嬉しそうに言った。なるほどこのレベルの薄さか、と私はやっと腑に落ちて、そのタオルを家族分三枚とも持って帰り、永らく夫用に使っていた。
一枚ずつ大切に使っていたが、温泉旅行などそんなに何回も行かないので、三枚目のタオルがダメになる頃にはさあ、次はどうしようかな、と思っていた。
すると有難いことに、近所の方が引っ越しの挨拶で下さったり、自治会の行事に役員として参加した時に配られたり、でなにかと貰える機会が多く、ストックが数枚できた。
そのストックも底をつきかけていた昨年、近所の家が「リフォームしますので」と言って持ってきて下さった。今夫が使っているのはこれなのだが、ボツボツ寿命かなと思っていたらまた今日、頂いてしまった。
この偶然、嬉しい限りである。

ボロ布としての用途に使うのも難しくなる程、このタオルを使い込んでしまう夫なので、新しいものに差し替える直前は所々穴が開いたりして、洗濯物として干すのが恥ずかしいくらい薄くなっている。他の洗濯物の陰に隠すようにして干すのはちょっとしたコツが要る。
「ねえ、これで身体って洗えてる?」
とさりげなく訊くのだが、夫は平然と
「うん、具合ええで」
と即座に返事する。
「新しいタオルに替えてあげようか?」
と言うと間髪入れずに、
「いや。これがええ」
と言い切るので、それ以上は何も言えなくなってしまう。
本人が良いなら良いのだが。

穴だらけのタオルは洗濯の度にどんどんボロくなっていく。しまいに紐のようになるが、夫はずっと使い続ける。一度あまりの酷さにこっそり捨てたら見つかって、ボロ布入れから『救出』されてしまった。
それ以来、無断で夫の入浴用タオルを『引退』させることはしていない。
今は不思議なくらいウマい具合にローテーション出来ていて、有難い限りだ。ご近所様さまである。

こんなわけでタオルとは呼べないくらい薄くて安いタオルだけれど、我が家はこれがないと非常に困るのである。