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ハチとおばさんの宿


#泊まってよかった宿

その宿は、福井県の三国町にある小さな宿だ。普段は近所にある「テクノポート」に仕事に行く人達が連泊したりする、普通の民宿である。部屋数も多くはない。

風呂は小さいが温度が高めで、とても温まる。婦人病などに効くと書いてあった。冷泉を沸かしている。

冬はここで名物の越前ガニが食べられる。鍋、焼きガニ。市場に出回る物は目玉が飛び出るほどするが、ここのカニは「ちょっと足が一本欠けた」とかそれくらいで、そこそこのお値段である(決して安いとは言わないが、かなりおトクである)。宿主のおばさんが食べやすいようにカットして下さり、全員で沈黙タイムの開始だ。ひたすらカニを穿る。

最初にブリとイカの刺身を出してくれる。これも美味しい。その後カニを堪能し(一人一杯)、雑炊で〆となる。この雑炊が「もうお腹いっぱい」なのに何故か入る。蓋をして蒸らす間、おばさんと色んな話をする。カニの漁獲量が年々減っているとか、今年の雪は多いとか少ないとか、家族の話とか、である。おばさんが私の父と全く同じ誕生日である事や、おばさんの妹さんが私の実家の近くにお住まいだとか、色々偶然も重なって、いつも盛り上がっていた。

おばさんに初めて会ったのは、20年近く前である。家族で「我が家の新年会」と称して毎年行っていた。その頃はおばさんのお母さんも高齢ながらお元気で、手伝っておられたが、随分前に亡くなられた。おじさんは元々関西の出身だった。同じく手伝っておられたが、何年か前に亡くなられた。3年くらい前に伺った時には、おばさんは近所の人達に手伝ってもらいながら、お一人でやっておられた。最近はあまり大人数は受け入れない事にしたそうだ。

ここには「ハチ」という猫がいた。死にかけていたのを可哀想に思い、動物病院に連れて行ったら緊急手術になり、えらい費用がかかった。しかし見殺しには出来ん、と言って後の看病もしていたら、回復してもすっかり懐いて居ついてしまったらしい。背中に漢字の「八」の模様がある為、「ハチ」になった、ということだった。おばさんにとても懐いており、呼ぶと返事をする。犬みたいだった。カニ発送用の発泡スチロールの箱を保管しておく小さな倉庫がハチのねぐらであった。猫にしては贅沢である。朝はよくおばさんと一緒にコタツに入っていた。私達には懐かず、近づくと逃げるか、シャーっと脅すか、であったが、いないと変な感じで、「おばさんハチは?」とつい聞いてしまった。

数年前に行った時は随分年をとって弱って、寝てばかりいた。もういないかもしれないが、あの宿といえばハチとおばさんである。

おばさんは今も宿をやっておられるようだ。ウチも近いうちにまた行きたい。

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