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初見大会

昨日の合奏は、定期演奏会に向けての初見大会だった。
『初見』とは文字通り、全く初めて見る楽譜を演奏することである。その日の合奏予定曲が全て初めて吹くの曲ばかりの時には、『今日は初見大会』という言い方をするのがアマチュア吹奏楽愛好家の通例?みたいになっている。
『初見』で音楽を奏でるには、何と言っても読譜力が試されると思う。一口に『読譜力』と言っても色々な能力が包含されている。
当然ながら、楽譜に書かれている音・調性を正確に読みとる力、拍を正確にカウントする力、全体的なフレーズを把握する力などであると思う。
これら読譜が正確に出来た上で、更にそれを正確に演奏できる力が必要になる。読めても演奏出来ないのでは意味がない。
だから初見で演奏するのは難しい。

私は初見が大の苦手である。「今日は初見大会ね」などと言われるとげんなりしてしまう。楽しい合奏の時間が、一気に苦痛な時間に早変わりするような気がする。
ところが世の中には、『初見大好き』『初見へっちゃら』という人が少なからず存在する。私から見れば異様な人種だが、彼らから見れば私のような『初見アレルギー』の持ち主の気持ちは理解できないらしい。
なんと、我が夫はこの『初見へっちゃら』族である。
「どうしてそんな軽々と吹けるの?」
と訊くのだが、
「読んだとおりに吹いたらええだけやんけ?」
と別に偉そうにするでもなく、ごく普通の調子で言うのでコノヤロウと思ってしまう。
前に所属していた楽団には『初見大好き』族の女性がいた。なんでも「ちょっと大変かなー?」と思うくらいの曲の方がワクワクするそうで、細かい変拍子などのある譜面だと、苦しむ私達『初見アレルギー』族を尻目に、嬉々として演奏していた。
羨ましい限りだった。

あまりに初見が苦手なので、どうやったら苦手意識がなくなるか、師匠のK先生に相談してみたことがあった。
「勿論先生はへっちゃらでしょうけど、私本当に苦痛でして・・・」
とこぼしたら、
「僕も好きではありませんよ」
という意外な答えが返ってきて驚いた。
「まあ、僕は仕事ですからちゃんとしますけど、『好きか』と訊かれると、違いますね。初見を克服するには『数をこなす』ことです。貴女は学生時代に部活をやっていないから、触れている楽曲数が他の方々より圧倒的に少ないのでしょう」
と言われてなるほどと納得した。
要するに「いっぱい練習しろ」ということである。やはり何事も上達に王道はないようだ。

一度、そんな先生の初見に偶然立ち会ったことがある。
先生はよくレッスンの時に、次の自分の本番用の譜面を持ってこられ、レッスンの合間に練習されるのだが、
「これ、やったことないな。どんな曲かな」
と呟きながら、送付されてきたと思しき封筒の口を切り、譜面を出して眺めておられたことがあった。
先生は主にオーケストラや室内楽の本番に出演されているが、稀に吹奏楽のお仕事もされることがある。しかし吹奏楽部ご出身ではない為、吹奏楽の曲はあまりご存知ない。今度のお仕事は吹奏楽のようだった。
「これ、知ってますか?」
といって見せて下さった譜面は『アルヴァマー序曲』(J・バーンズ作曲)だった。吹奏楽の古典、と言っても良いくらい、有名な曲である。美しい曲だが、難易度はさほど高くない。クラリネットには連符が多いが、簡単なスケール程度だし、スピードはそんなに速くない。
「ああ、知ってます。先生だったら楽勝ですよ」
と言ったら先生は、
「譜面が真っ黒なんですけど・・・本当に楽勝?」
と言って、譜面を見ながらおもむろに吹きだした。聴きなれた美しい旋律が耳に心地良い。私は思わず目を瞑って聴き惚れた。
と、先生は急に演奏を止め、
「なるほど。楽勝ですね」
と笑った。
「でしょう?」
「ええ、そんなにテンポは速くない、ということですね?」
「はい、割合ゆったりした曲です。全体的に壮大な感じというか・・・」
「なるほど、わかりました。こんな曲かあ。了解、了解」
先生は譜面を見ながら何度も頷いた。
簡単な曲とは言え、初見と言うのに先生の演奏にはしっかりと曲想が見えた。単に音を追っているだけではなく、『聴かせる演奏』だった。
流石だなあ、と感心した。

プロですら『好きでない』と言い切る『初見』。
私は趣味で吹いているので、出来なくても食うに困ることはないが、苦痛ではある。色んな意味での自分の『力』のなさを痛感させられる。
次週も『初見大会』である。ああ、今から憂鬱だ。
『初見大会』は私にとって、楽しいけれど難儀な時間である。