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優美な金食い虫

楽団に入っていると自分が演奏する喜びの他に、他人が演奏するのを聴く喜びを味わえる。音楽大学などで腕を磨いてきたような人だと、本当にうっとりするような素晴らしい演奏をされる。時にはうっかり聴くのに夢中になってしまい、自分が演奏する箇所を失念してしまう、なんて恥ずかしいことになったりする。(俗に『聴き落ち』という。)
演奏者であることを忘れて、聴衆になってしまう、ということで、奏者としては感心できない話である。が、そのくらい素晴らしい演奏が聴けるのは、やっぱり嬉しいことだとも思う。

特に普段の練習ではあまり見かけないが、本番が近づいて来ると参加する楽器などは、珍しさもあってついつい聴き惚れてしまう。
代表格はハープである。
吹奏楽の編成では、使われないことも多い。しかしクラシックをアレンジした曲や、吹奏楽曲でも規模が大きいものだと、この楽器が必要になるシーンが増える。
あの美しいフォルムだけでも眼福を得られるが、ひとたびかき鳴らされると周囲の空気が一変するような気がする。まるで舞台の幕がさっと上がるような、ティンカーベルが魔法の杖を振り下ろした瞬間のような、聴いた人間が思わず『うわあ~』と胸をときめかせてしまうような、素晴らしい音がする。
どんな言葉を以てしても、あの魅力的な音を表現するには足りない。

ハープの登場する吹奏楽曲は沢山ある。沢山過ぎて書ききれないが、例えば『エル・カミーノ・レアル』(A・リード作曲)、『星の王子様』(樽谷雅徳作曲)、『フェスティバル・ヴァリエーション』(C・T・スミス作曲)などにはハープが活躍するシーンがある。ないと困る。
普段は楽団にない楽器なので、当然奏者もいない。だからいざ演奏に加わってもらおうとすると、奏者と楽器をセットで呼んでこなければならない。
都会は母数が大きいから一定のハープ人口があるが、田舎になると奏者探しも大変である。遠くから来て頂くことになったりすることもある。

以前、北陸の楽団に居た頃の話である。
定期演奏会の練習をしていた時に、指揮の先生が
「もう一人ハープを呼んで下さい」
と仰ったことがあった。
その時は地元の音大生に来てもらっていた。他にあてはなく、幹部が大変困っていると、当の音大生が
「レッスンの先生にお願いしてみましょうか?」
と言ってくれて、なんとプロのハーピストに来て頂けることになった。
ハープの定位置は大体舞台の下手側(向かって左)が多い。つまり我々クラリネット軍団の真後ろにいらっしゃることになる。
この音大生も十分に良い音を響かせてくれていたのだが、先生の音は桁違いだった。先生が弦を弾く度、まるで前方に居る我々の耳のすぐ横の空気がブン!と震えるような、パワフルなそれでいて美しい音がした。
未だに忘れられない音である。

日本にはハープを作っている会社がある。北陸は福井県の永平寺町というところである。
水と空気が美しいからそこに建てた、と噂で聞いたことはあるが、本当のことは知らない。
だからか、福井の県立音楽堂(ハーモニーホールふくい)の開幕のベルはハープの音である。ホールのドアの取っ手もハープの形をしている。
以前はJR福井駅の電車の到着を知らせる音楽もハープだった。(今は変わっているかも知れない。)
地元の誇りを感じる。

ハープはちょっと見、たおやかで繊細で女性的な印象を受ける。
しかし、演奏はとんでもなく大変で、体力勝負の楽器だと思う。
あの弦の張りはけっこう強い。それを指でかき鳴らす。指が辛いんじゃないか、と傍目には思う。訊いてみたことはない。
ペダルのないものもあるが、あるものだと結構ガコガコ踏まねばならないようだ。見ていて足がつるんじゃないか、と思う。ピアノのペダルのように楽な踏み方が出来るものではない。あれで音を変えているらしい。信じられない。
チューニングをマメにしなければならず、大変だとも聞いている。もろに照明の光が当たったりすると悲惨なことになるらしい。怖い楽器である。

呼ぶとなると、とっても高くつくのも悩ましいところである。
奏者のギャラと交通費、楽器の運搬代(ハープ専用の運送屋がある)+保険料(何かあったら大変)は絶対に必要である。運搬は一人では無理なので、人手も必要だ。
当日だけでなく、練習やリハーサルにも来てもらわないといけないから、これらの費用はその回数分かかる。
つまりハープは素人の貧乏楽団には恐ろしい、『金食い虫』なのだ。

しかし、あるとないとでは大違いである。
他のどんな楽器でも代用できない。シンセサイザーで演奏してみても、本物には遠く及ばない。
どんなにお金がかかろうとも、あの素晴らしく優美な響きを聴くと、
「ああ、やっぱりハープって良いなあ。流石楽器の王様だなあ」
とうっとりしてしまう。
楽団の懐具合なぞそっちのけで、来年の定期演奏会でも聴けたら嬉しいなあ、とのんびり考えている。