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ちょっと残念な神社

私は休日や午後出勤の日の午前中にはいつも、近所の神社に参拝する。別にここでないとダメと言うことはないが、どうも氏神様らしいのでご挨拶がてら行くことにしている。
ウチから片道二キロ半くらいなので、往復するとまあまあの運動になる。

源氏ゆかりの神社らしく、大河ドラマのせいか、小さな神社にもかかわらず最近はツアーのような感じの観光客の集団とガイドさんによく出くわす。境内には大きな銀杏の木や、松尾芭蕉の句碑もある。元々は昔の豪族の墓だったらしく、社殿の後ろはそう言われるとこんもりと古墳のような感じになっている。

こう書くと、物凄く良い雰囲気のこじんまりした神社を想像してしまう。が、この神社まるで「やる気」が感じられない。参拝している人間が言うのは罰当たりだが、とても「残念な感じ」のする神社なのである。

何が「残念な」「やる気のない」感じなのか。
何と言っても、非常に手入れされていない。銀杏の葉を踏んで滑りそうなくらい、散り放題で放置されている。実が踏まれて潰れて臭い。私は氏子ではないが、箒と塵取りを持ってこなかったことをいつも後悔する。
入り口には手水舎も小さいながらちゃんとあるのだが、その屋根を支える支柱が一本どう見ても傾いている。強い風など吹いたら多分一巻の終わりである。神社の由来を書いた立て札は随分前に根元から折れたようで、その頼りない支柱の一本にもたれさせてあるだけで、読むのに骨が折れる。
手水鉢には柄杓がいつも三本置いてある。が、その内二本は水を汲む部分の金属が劣化して底が抜けかけている。従って水を汲むと大急ぎで手にかけないと水がじゃあじゃあ漏れてなくなってしまう。
以前は三本ともそうだったのだが、最近一本新調された。喜ばしい限りだが、みんなこればかり使うと見えて、あっという間に持ち手が汚くなってきている。

歩道から随分高いところにのぼった所に社殿がある。社殿への階段は一段が比較的高く、おまけに銀杏の葉が積もっているのでとても危険である。葉がないところは苔がこびりついていて、余計に怖い。雨の後なんかは非常に気を付けて行き来する。

やっと社殿に着くと、賽銭箱が目に入る。これが気の毒なくらいボロボロである。というか半分朽ちている。賽銭箱を新調してくれますように、とお祈りしながら硬貨を投げ入れる。時折賽銭箱の裏から猫が出てきて驚かされる。身を隠すのに丁度良い窪みが出来ているようだ。
社殿は普段は閉まっていて、賽銭箱の裏の段々に物凄く適当な感じで酒やらなんやら置いてある。供えるという感じではない。落ち葉まみれになっている。持ち去っても多分わからない。

こんなやる気のない神社だが、一応社務所らしきものがある。七五三や宮参りなどに来た人にもよく出会う。会社の制服を着た人達がお祓いしてもらっているのも何度か見た。
社務所には一人の「おばさん」が居ることがある。このおばさんが宮司である。普段はジャージ姿で挨拶してくれるが、神事がある時はこのおばさんが烏帽子を付け、衣冠束帯姿?でがっさがっさと階段を昇っていく。
神事がある時は予め掃除しておくようで、入り口から階段、社殿までスッキリと綺麗である。いつもこうしておけば良いのにな、と思う。

先日は宮参りの家族に会った。
おばさんはいつものように宮司の格好で階段を昇り、社殿を開こうとした。が、その日の前の晩は風が強く、階段は綺麗にしてあったが社殿の前の段々は落ち葉が山盛りになって、スムーズに社殿に入れる様子ではなかった。
「うわあ、すいません。今すぐ掃除しますねえ」
おばさんは衣冠束帯姿で箒を手に段々を掃き始めた。しかしあの格好は掃除には最も不向きである。とてもやりづらそうだ。代わってあげようか、と思って見ていると、赤ちゃんの父親らしき男性が見かねて、
「中の準備して下さい。僕、掃除しておきます」
と言って箒を受け取り掃除しだした。
社殿の掃除が参拝者のセルフサービスの神社なんて、初めて見た。

赤ちゃんのおばあ様がにこやかに掃除に勤しむ婿を見守っている。待っている私に気づくと、
「あらっ、お待たせしてすいません」
と仰った。
「いえいえ、良いお天気になって良かったですね。おめでとうございます」
と言ったら婿さんが箒を手に、
「ありがとうございます」
とにこやかに答えてくれた。
おばさんが中から
「それではお入りください」
とのんびりした声をかけるのが聞こえ、家族は社殿の中に入っていった。
神社に詣でた時に神事に会うのは吉兆だそうだ。なんだか嬉しくなった。赤ちゃん、元気で大きくなりますように。
いつものようにお参りして、私は社殿を後にした。

境内には老人会の集会所もあるが普段は無人のようで、なんだかよくわからない神社だが、地元の人は何かの節目にはここに参っているようだ。
これからも行くつもりにしているけど、もうちょっとなんとかならないのかなあ、といつも思っている。