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お酒の耐性と飲み会での心のせめぎ合いを経て、私はお酒のない生活を選んだ

ソバーキュリアスなる言葉があるらしい。Sober(しらふの)に Curious(興味がある)人のことを言う造語なのかな。日本語で言うと、あえてお酒を飲まない人たちって表現されることが多いらしい。

厳密な定義があるものではないと思うけれど、私はどっちかといえばこのソバーキュリアスに近い。なるべく必要でなければお酒を飲みたくないし、お酒を飲むとしても数杯以内に抑え、なるべくアルコール度数の低いものを飲みたいと思っている。

以前、『「そろそろ、お酒やめようかな」と思ったときに読む本』を読んだ際に、お酒に関する私の知識が圧倒的に不足していることを強く実感したことも大きい。お酒は百薬の長というのは、現代の知識ベースでいえばあっているか怪しく、むしろ中毒性のリスクの方が大きいと言うのが衝撃的だった記憶を持っている。もし、興味がある人は、書籍やYouTubeの動画などで内容をさらっと見てみるといいかもしれない。

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私はお酒が全く飲めない体質ではない。ある程度は飲める体質だし、弱い方ではないと思うから、いろんな種類のお酒も楽しめる都合のいい体をもらったなぁと思っていた。

が、私は少ないアルコール摂取でも、翌日の体調に影響が出る。お酒を飲むときは、翌日何もない時にしたいと言うのが本音。実際、翌日の予定がある時は飲み会などを避けるようにしていたし、飲みすぎないように注意しながら参加していた。でもやっぱり雰囲気や空気を見て、飲まざるを得ないと言うか、飲んだ方がいいんだろうなぁって思うことがあったのも事実だ。

正直、いい気分はしなかったけれど、でも別にその人たちが何か悪いことをしているわけでもなかったし、もっといえば強要もされていない。飲むことの楽しさも知っているし、その方が盛り上がることもあるのは事実で、私が単に気を遣って、勝手に疲れていた、ってのが事実だ。

しかし、今はもう、特に理由がなければお酒を飲む必要なんてないなと思っている。少しだけ吹っ切れたような気がする。というか、自分の体調を犠牲にしてまで飲む必要があることなんてそうそうないなと思うようになったことが大きい。

飲まなくたっていいよ、大抵の場合、飲むことが目的じゃないから。そんな風に思えるようになった時、無意識に感じていた「お酒を断ること」への後ろめたさが少しだけ楽になったようなそんな気がする。そして、私が感じた気苦労を他の人にも与えないために、自分が主催した食事会などでは積極的に、「飲む必要はないけれど、飲みたい人は飲んでいいよ」と言う発言をして、選択の自由が確保される雰囲気を出すようにしている。

私にとっては、お酒は大人の嗜みではない。どちらかといえば、好きな人が勝手に飲むもの、生活にはさほど必要のないもの、と考えている。本質的には、タバコと大差はないくらいに思う。でも、喫煙者が悪いなんて思わないし、お酒が好きな人をダメだとも思わない。自己管理ができるならそれでいいし、私は以上の気持ちは持たない。

私にとって、私の人生において、お酒はさほど重要でないアイテムになった。お酒のない生活をあえて積極的に選ぶ、それがもっとも私らしい。

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