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チップ

チップという文化が私は好きだ。特に、ヨーロッパでたまにある『払いたいと思った時にチップを払う』このスタイルが大好き。逆に、米国風の、チップが当たり前文化はちょっとうーんって感じ。

購買行動は、自分が何を支持しているかを表す行為と私は思っている。コンビニでたくさん買い物をする人は、コンビニっていう存在にお金を払っている。ブランドものが好きな人は、そのブランドのファンであるからお金を出している。と考えると、誰かに対して直接お金を払うチップは、自分の自発的な気持ちが全面に出ていて気持ちがいい。好きなお金の使い方トップ3に入る。

しかし、日本では、なかなかチップを払うことができないのが残念だ。例えば、レストランとかでいい対応してくれた人にちょっと多めに払ったり、荷物を持ってくれた人にお金を払うとかそういう些細なことでいいんだけど、お金という表現方法を通して感謝を伝えられるといいのになぁと何度も思う。何もお礼をしなければ、次第にやってくれるのが当たり前になってしまうような気がしていやだ。

当たり前の基準が高くなってくると、なかなかチップを払う機会にも恵まれない。相手に対して期待をしすぎていて、なかなかその期待を超えてくるサービスや振る舞いに出会うことがなくなってしまうからだ。

でも、勝手に期待してるのは自分なんだと気づくと考え方は変わる。期待を下げるようになると、いろんな人にチップを払えるようになってくる。よく経済の文脈では、お金が回ると景気がよくなるというが、事実そういう流れが起こることがある。感謝から生まれたお金で、周りの景気がよくなる。雰囲気がよくなる。なんと素晴らしいことか。と、チップを払うたびに思う。


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