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行きつけのカフェにいる軍服のおじさんの話

毎週末、欠かさず行っているカフェに軍服をきたおじさんがよく来る。旧日本軍の服なのだろうが、私にはよくわからない。いつもテラス席で、ワインを飲んでいて風情がすごい。今回は、そんな彼についての話。

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浅草という街はいろんな人がいて面白い。まあ、正直、家族連れで住むには向かないかもしれないが、地域性と人々の多様性が高くて、都内では最も好きな街である。下町ってこともあり、お祭りなども盛んで、季節を感じるイベントが多い。私は、ここ数年浅草に住んでいるが、別の場所に住みたいとは思わない。それくらい好きだ。

ただ…多様性と書くと聞こえはいいんだけど、要するに変な人もいるってことだ。例えば、浅草も少し足立区の方によっていくと、日雇い労働者のための宿屋がいまだにあるし、公園にホームレスだってたくさんいる。私の家の近所には吉原があるし、夜道で奇声をあげている人もたまにいる。外国人が喧嘩しているところも見る。

このように書くとネガティブな印象を持つかもしれないが、それだけいろんな人を受け入れている街ということなんだと私は解釈している。自分とまるっきり違う人がいて、自分との差をまざまざと見せつけられるからこそ、私たちは個々の違いを意識できるのだ。違いというものはいつだって相対的である。上流階級の中の上下は、下流も含めると雲泥の差になることだってある。

まあ、そんなことはいいとして、私がほぼ毎週いるFUGLEN ASAKUSAという行きつけのカフェに、ほぼ毎週来る軍服のおじさんがいる。もうみただけで異質感がすごく、脳裏に焼きつく見た目をしている。たまにいる、女装したおじさんくらいびっくりする見た目だ。Twitter で調べてみたら、写真をとっている人がいた。

でも、その異質性が面白いと私は思ってしまう。

ああ、この異質性が公然に認められているこの空間というのは、多様性に対しての許容度が高いのだなあ。いいことだなあ。すばらしいなあ

というのが私の率直な感想である。同じ日本人であっても、個々の価値観は違って当たり前だし、日本人として同一に見なすのに私は違和感を感じているからもある。他の人に害を与えないのであれば、それは彼らの自由であって、他者がモラルを他者に押し付けるものでもないだろうと。

何より、彼がいつもワインを飲みながら悦に浸っている感じが、客観的にみて風情があり、とても良い。街ゆく人がおもむろに彼を写真におさめる、中には話かけて一緒に酒を交わす人すらいる。服装という少しの特徴をつけるだけで、人はこんなに繋がれるのか、価値観の違いがあっても分かり合えるのかと思うと、素晴らしいなと彼を見るといつも思わされる。

私は、彼ほど奇抜な個性や外見を持っているわけではないけれども、私の価値観は私のものだというのは忘れないでいたい。違いは良さでもある。そんなことをまざまざと感じた。

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