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箸を両手で使えるようになって、左利きのもどかしさと、右利きの便利さを知った

私は、両方の手で箸を使える。横並びで食事をする時は、相手の利き手に合わせて座席を変わってあげられるし、左利きの人が食事の時にどんなことを考えているかがとてもよくわかるようになった。

きっかけは、中学生の時。学校のお昼の時間、教室の一番後ろで隣に誰もいない、ポツンと一人座るような席にいた私は、とても暇だった。別に、友達がいなかったわけではなく、なぜか校則が厳しくて自分の席から移動してお昼を食べられない学校だったのだ。

暇を持て余した私は、ある時から左手で箸を使うようになった。後から理由はいくらでもつけられるけれど、結局暇を持て余した中学生が左手で料理を食べるスキルを身につけ始めただけだ。

それからというもの、あくる日もあくる日も慣れない左手で食事を繰り返し、次第にできるようになっていく自分の才能に歓喜していた。中学を卒業する頃には、立派な両効きになっていた。ちなみに、麺類を食べるのが一番難しい。黒豆をつまむのはそんなに難しくない。(箸で掴むだけだから)

左手で食事をするようになって、多くのカトラリーや食器が右利きに最適化されていることを知った。スプーンやフォークなど、機能的には左右どちらでも使えるが、デザイン的には右利きが使う方がかっこいい。みたいなものがいくつもある。「なんでなんだろう」と考えるたびに、右利きが多くてそっちに最適化した方が売れるという事実に行き着く。

和食を食べる時もそうだ。一般的に、茶碗は左、汁物は右。左手で茶碗を持って、右で食べるための様式である。左利きにはとてもやりにくい。やっぱり、右に茶碗があって、左に汁物がある方がいい。でも、マナー違反になったりするから、左利きは躊躇して右利きのルールに合わせている(時もある)

両効きになって、私は、世界がグッと広がったと同時にもどかしさが増えた。私の弟は左利きで、彼は右手で食事はできない。慣れてしまえばそれまでだが、右利きの都合で左利きが割りを食っているようなそんな気持ちがしてならない。でも、右利きの人は認識さえしていないかもしれない。いろんな慣習は右利きに最適化されていて、便利すぎるのだ。

私がこのもどかしさを感じるのは、私自身が左利きの当事者になったということでもあるし、右利きの部外者になったということでもある。宙ぶらりんな両効きにしかわからない。そんな私にできることは、左利きの人が食事で気を遣わないでいいように、左で食事ができるスキルを維持することだけ。たったそれだけ。

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