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ビールってさ。

kuroda との間で、往復書簡と言って楽しんでいるエッセイでの会話。私も挑戦してみよう。うまくいくかな。

“言われてみれば、色や香りを楽しむという意識がなかった。感覚が雑だと言えばそれまでだけど、ビールにそこまで期待していないというのがほんとのところかも(身もふたもないな)”

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『ビールにそこまで期待していない』という言葉、とても分かるなと思った。コンビニで売っている缶ビールはせいぜい数百円で、中には酔えればいいみたいな味の物もある(と思っている。)いろんな人が、いろんな状況でビールを飲んでいるし、多分、kuroda みたいな考え方は多くの人に共感されるだろう。「正直そこまでビールのこと気にしてないよね」と言った具合に。全然それでいいのだ。

ビールは他のお酒に比べて、とても大衆的であるため普段意識されないのだと私は思う。「とりあえず生」という言葉があるくらいだ。仕事で疲れたオヤジが好んで飲み、くだを巻くシーンが目に浮かぶ。対照的なのが、ワインとウィスキー。レストランでかっこよく乾杯、もしくはバーでしっぽりが似合う。

この違いは明確である。飲み、味わうという体験にどれくらい重要度が置かれているかがまるっきり違う。ビールは、宴会を盛り上げる潤滑油として使われる。確実にそこにいるのに、主役をうまく引き立てる名脇役として、ビールは存在する。もちろん、主役は「会話」だ。それもビールとは全く関係のない会話である。宴会の会話が盛り上がっているときは、脇役がいい役演じていると思っていい。

一方で、ワインやウィスキーはそれ自体が話のネタになる。「このフルボディは〇〇な感じでいいよね」とか「〇〇っていう醸造場からでたXX年物のウィスキーをこの前飲んだんだけどさぁ」みたいな感じだ。お酒の味やボトルのデザイン、使用された品種や生産者の情報など、お酒を楽しむためにはお酒についての知識が必要になる。ビールのことは全然知ろうとしないのにだ。ちょっと不憫に思えてくる。

ビールを取り巻く環境は厳しい。やれプリン体だの、糖質だの、ヘルシー志向の人たちからは忌み嫌われている。お酒の席ではこんなにも脇役に徹してくれているのに、決して主役にならない、いや、なろうとしても引きずり下されている感さえある。

でも、そんなビールにも光があたる瞬間があってもいいんじゃないか、主役になったっていいじゃないか、と私は思う。こんなに身近にあるお酒が、私たちに新しい楽しみを提供してくれるなら、どんなに幸せなことか。ビールを飲むいろんな人が、たった数百円で楽しさを手に入れられる。ビールにはそんなポテンシャルがあると私は信じてやまない。

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