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時間というか、伝統というか、思い出というか。〜コンテクストデザインを読んで感じたこと〜

革靴、万年筆、手紙、年賀状、図書館、古典、世界史、クラシック音楽、珈琲

どれも私が好きなもの。

私は昔から時間の感じられるものが好きだ。手間暇かけた時間や年月、関わった人の数が感じられるものはたまらない。書き手や作り手、歴史の語り部の思いや願いを感じると胸の奥がグッとなる。ある人はこれを伝統と呼び、またある人はこれを思い出と呼ぶ。

物と人の関係性

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例えば、革靴は同じ型で同じ素材を使っていても同じものにはならない。昔、アパレルで働いているときに、この違いが興味深くてたまらなかった。

ある人によれば、作り手の違いや色をつける時の気温や湿度によって微妙に色の乗り方が変わってしまうため、同じものを作るのは難しいのだという。人間と似たようなものを感じずにはいられない。私たちも大きな類型は一緒である。しかし、どこで生まれるか、どこに生まれるかは一緒ではない。

また、靴は作られたらそれで終わりではない。誰かの手に渡って、誰かの生活の一部になるのである。私は、靴の扱いには買った人の思いや生活が出ると考えている。ある人は、買った後の手入れを怠り、かかとがすり減ったまま。完全に靴は疲れ切っている。とてもブラックな環境である。

一方である人は、毎日少しずつだが欠かさず手入れをする。平日の忙しい日には、クロスで少しだけ表面を吹き、消臭スプレーをかける。たまのお休みの日には、日頃の疲れを落とすかのように表面に溜まった見えない汚れを落とす。綺麗になった表面に丁寧にクリームをぬる。すると見違えるように綺麗になる。

一般的に、商品は新品である時が一番よく、時が経つにつれて劣化すると考えられている。しかし、これは革靴には成り立たない。履く人がその革靴のことを大切に思って、手入れをこなしていくだけで、むしろ買った時よりももっとずっと魅力的な仕上がりとなる。さらに、靴底は履く人の足の形に自然と整形され、最終的にはその人だけの靴に仕上がるのである。ここまでにだいたい数ヶ月はかかる。

あるものが誰かの手にわたり、その人と時間を共にする中で、人と物の間に関係性が生まれる現象はとても興味深い。ある曲を聞くと不思議と当時好きだった人のことを思い出してしまったり、ポストに届いた手紙から昔と変わらないあの人の姿を感じたり。

最近読んだ、コンテキストデザインという本は私の思っていたことを非常に繊細に言語化してくれていたように感じた。私が確かに感じていたのは、私と何かの間にある『曖昧だが確かに感じられる関係性』なのだと。その曖昧さ故に、解釈や意味を感じる余地があるのだ。人々の息遣いやロマンに思いをはせたり、自分なりのこだわりを持って物を愛せることができるのだと。

最後に

最近、大切にしていたマスクケースを開けることになった。なぜ大切にしていたかというと、そのケースには私の妹からのメッセージが書いてあったからである。

これは、私が大学に入学するタイミングで実家から送られてきた仕送りに含まれていた。もう6年も前のことである。私と妹は4つ離れている。実は、彼女が中学生くらいから疎遠な関係性で、実家にいてもほとんど会話をした記憶がないくらいであった。(なお、今はかなり関係性が良い)

なんの変哲もないただのマスクケース。されど私にとってはとても大切なもので、だからこそ6年間も開けずに取っておいたものであった。ひらがなだけで書かれた、とてもシンプルで当たり前のメッセージには、言葉以上の何かが込められているような気がしてならない。

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