隣の芝が青く見えたら、もっといろんな芝を見たらいい

隣の芝が青く見える

そんな時はないだろうか。私はある。満たされない自分がいるんだな、と認めつつ、隣の芝の青さを観察している。

ネットを見渡すと、隣の芝を青く見せる仕掛けがたくさんあることに気づく。いわゆる広告というやつだ。隣の芝が青く見える時は、その物事が自分にとって魅力的に見えているということで、マーケティング的には成功している。

隣の芝が青く見える時、『自分の満たされないこと』と『自分の満たされない欲求が別の場所で満たされていること』のギャップに苦しむことになる。理想と現実のギャップに苦しんでいるのだ。特にSNSで強く感じる。

多くの人は隣の芝が青く見えた時、なんとか見ないように我慢する。でもそれは自分に苦を強いているし、辛い。

私は言いたい。

隣の芝が青い時は、もっとたくさん芝を見に行ったらいい

と。たくさん芝を見たら、実は隣の芝は大したことなかったと思うこともあるだろうし、色々みるうちに熱が冷めていくこともあるだろう。自分の気持ちに嘘はつかない。知りたいならとにかくたくさん知ろうとしてみる。それでいい。

Twitter のフォロー数が少ない時ほど、隣の芝が辛いことはない。そんな時はフォローする人をもっと増やそう。100人しかフォローしてないなら、1000人フォローしたらいい。10倍の量のタイムラインに晒されると、一つ一つのツイートを念入りに見えている余裕はなくなる。隣の芝を否定する、別の芝も出てくる。

世の中は広い。そして、私たちが知ってることはとても少ない。限られた情報の中で私たちは物事を決めているのだ。だから、知りたくなったらもっと知ろうとしたらいい。隣の芝が青い時、それはあなたが知りたいと思っている証拠なのだから。

読了ありがとうございます。よければいいねも!