文壇ゴシップニュース 第5号 ニーチェを読む渡邉恒雄あるいは精液でいっぱいの一升瓶、作家にとってパーティーとはなにか

ニーチェを読む渡邉恒雄あるいは精液でいっぱいの一升瓶

 高校生の頃だったか、スポーツ雑誌の『Number』を読んでいたら、渡邉恒雄特集(という名の批判)みたいなのが組まれていたのだが、ミニ情報的な感じで、学生時代のナベツネが一升瓶に精液を溜めていた、という短い文章が隅の方に載せられていて、その発想に俺は強い衝撃を受けた。これはただ者じゃない、と。
 爾来、十年以上もそのことを記憶し続けていたのだが、一体それのネタ元が何なのかはわからなかった(書いてあったのかもしれないが忘れた)。
 が、この前少しネットで調べてみたら、魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』だということがわかった。
 渡邉は開成中時代、成績優秀で級長を務めると同時に、軍人風を吹かせる教練の教官に反抗したりと、非常に目立つ生徒だった。
 渡邉が性について知ったのは友達からで、ある日電車の中で、「お前のおふくろと親父がこんなこと(セックス)をしたから、お前が生まれたんだ」とからかわれたことに端を発する。何も知らない渡邉がそれに反論すると、友人は証拠を見せると言った。以下、一升瓶に精液を溜めるまでの流れである。

 と、翌日になって「証拠写真」を持ってきた。外国の男女が絡み合うポルノ写真だった。それを見てはじめて渡邉は、モーパッサンの小説『女の一生』にやたら出てきた×××という伏せ字の意味を知った。渡邉の性への関心はエスカレートし、挙句の果てには、教室に空の一升瓶と、高峰秀子ら有名女優のブロマイドを持ちこむようになった。同級の岡利昌が語る。
「渡邉が皆に、それでマスターベーションして一升瓶にためろと言ったんだ。授業中にね。自分のクラスが終わると隣のクラスに持っていく。そうやって卒業まで一升瓶一杯たまるかどうか賭けをしてたんだよね。そんなことやるから彼のあだ名は『淫長』だった。親分肌で猛烈にスケベという意味だよ」(魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』)

 俺は渡邉が一人で溜めていたように記憶していたのだが、みんなで溜めたということだった(今どきの言葉で言えば、「アオハル」ということですね)。結局、溜まったのだろうか?
 さて、そんな(どんな?)渡邉だが、彼が哲学好きということはあまり知られていない。『諸君!』2007年10月号では、「読書の季節の到来にちなみ」、「人格・精神形成に大きな影響を与えた本」、「人生の見方、考え方に影響を与えた本」をテーマにし、著名人108名にアンケートを行っているのだが、そこで渡邉があげたのが、出隆『哲学以前』、カント『実践理性批判』、ニーチェ『ツァラトゥストラかく語りき』の三冊だった。
『渡邉恒雄回顧録』によれば、渡邉は小学校の頃は詩人に、中学に入ると作家を目指すようになったが、自分の作品に満足できず、論理的に考えるのは才能がなくてもできると考え、三年の時には哲学者が将来の夢となった。また、戦時中は、カントとニーチェを読むことで死の恐怖を凌いでいたという。今でも、枕頭に『善の研究』、『純粋理性批判』などを置き、「経営とか野球の結果などで腹が立って眠れないときは」、それらを読んでストレス解消しているらしい。
 社会では哲学科というと、「無職・ニート予備軍」と思われがちで、親に哲学科に行きたいなどと言おうものなら普通は反対されるのだが、この文章を目にした受験生諸君は、「ナベツネが哲学好きなのを知らないのか」と反論し、哲学科での留年生活を大いにエンジョイしてほしい。

参考文献
魚住昭『渡邉恒雄 メディアと権力』
『諸君!』2007年10月号
御厨貴監修『渡邉恒雄回顧録』

作家にとってパーティーとはなにか

 公的なパーティーや有力者による会合が開催される時、そこに招待されるかどうかというのは、その人の社会的地位を示す一つのバロメーターとなり得る。だから、たとえパーティー嫌いの人間でも、招待状が来ないと不機嫌になるし、主催者側も無駄になると知りつつ招待状を送りつけたりする。また、招待する側としたら、箔をつけるため、なるべく格の高い人に来てもらいたい。パーティーとは華やかであればあるほど、生臭いものとなる。
 典型的なのが、明治四十年に時の首相西園寺公望主催で行われた雨声会だ(第一回目の会合の時に雨が降っていたことからそう名付けられた)。提案したのは、当時読売新聞の主筆だった竹越与三郎で、竹越の依頼で読売の社員だった近松秋江がリストを作成した。会の目的はフランスに長く滞在した経験を持ち、文化にも関心を持つ西園寺を中心にして、一流の文士を集め、「ヨーロッパ流のアカデミーを日本に成立させる」ことだった(伊藤整『日本文壇史11』)。また、それに成功すれば、立案者である竹越と読売新聞は文壇に強い影響力を持つことができ、自社に有力な文士を集めやすくなるという目論見もあった。
 秋工の案はほぼ受け入れられ、二十名の文士の名が書かれた招待リストが新聞に発表されると、当然ながら上から下への大騒ぎとなった。例えば、作家の価値を売上で計っているとかなら分かりやすいが、この時採用されたのはもっと抽象的な概念で、いわば「シリアス」であるかどうかが問われていた。誰が大衆作家で、誰が純作家であるかというのは、以前からある程度線引されていたが、それが今回目に見える形で提示されたことで、火薬庫に火が点いた状態となった。選ばれたものは「名誉」を得、選ばれなかったものは「非芸術家」の烙印を押された。無論、元々無名な作家はこうした騒動に関係ない。ダメージがあったのは、選ばれてもおかしくないキャリアを持っている作家たちだった。
 その一人が硯友社の江見水蔭で、同じ硯友社の広津柳浪、川上眉山だけでなく、彼にとっては弟子格にあたる田山花袋までもが招待されているにもかかわらず、彼自身は漏れていたのだ。
 逆に、招待されていながら、それを断った夏目漱石は、権力に阿らない作家として株が上がった。断り状に、「時鳥厠半ばに出かねたり」という相手を馬鹿にしたような句をつけたことも、「漱石神話」の一つとして、長く語り継がれることとなった。
 しかし、招待されていなければ、「あんな会合どうでもいいぜ」と言ったところで人は負け惜しみにしかとってくれず、結局の所、反権威を示すにも、自分が一個の権威になっていなければ様にならないわけだ。

 パーティーの効用の一つとして人脈作りというのがある。パーティーに招待されるということは、身元を保証されたのと同じ効果があり、普通に出会うよりも、そこにいる相手を信頼しやすい。
 批評家ノーマン・ポドーレツは、トリリング夫妻のパーティーでリリアン・ヘルマンに紹介され、そこから今度はベストセラー作家や上流階級の人間が出席するパーティーに呼ばれ、遂にはホワイトハウスにまで到達するという、まるでわらしべ長者のような出世を成し遂げた(ノーマン・ポドーレツ『文学対アメリカ』)。もちろん、パーティーに出席しただけで、そんな風になるのは難しいが、出席しなければ仲間とは見なされない。だから、出世する人ほど、なるべくあちこちの会合に顔を出すのだ。
 パーティーというのは、顔を売りたいと思っている人にとっては非常に効率よくできている。わざわざアポをとる必要がないし、一度に多くの人間と会えるし、普段なら近づくのも難しい大物とも接触できるかもしれない。
 が、そんな大物ほど敵を多く持っているので、パーティーの幹事は、招待客同士の人間関係に気を揉むこととなる。
 かつて文壇には冠婚葬祭係と呼ばれる人たちがいて、文藝春秋なら樋口進、新潮社なら麻生吉郎、講談社なら榎本昌治が、それぞれ代表的な社員だった。
 そのうちの一人である榎本は『パーティー・葬儀で男をあげる本』という、自分の経験を元にした実用書を書いていて、パーティー中に出現する、「会場の人間力学」についてこう述べている。

 人が集まれば、必ずグループ(小集団)が生まれ、そこに権力が生じる。
 パーティーでは、この集団心理学の理論がいかに正しいか強く認識させられます。
 五百人程度のパーティーがあったとしましょう。すると十から十五の輪ができます。一つ一つが小集団というわけです。
 実力者にとって、パーティーは、おのれの力を誇示する絶好の機会です。また、これから実力者になろうという準実力者にとっては、パーティーは売出しの場所です。
 彼らは、わざと少し遅れてきます。そして時計とは逆回りに進んで、コーナーの一角を占め、そこを動こうとしません。
 別の実力者は、そこを避け、ほかのコーナーを占めます。場所をとりそこねた実力者は入口近くの一定位置に立ち、そこで何気なく”人集め”をします。もちろん、それぞれのコーナーに位置した実力者も、勢力下の者を集め、数を誇示しようとします。
 一方、主催者側の最高実力者と来賓側の最高実力者を中心とした輪(円)が必ずできます。二人のボスが動くにしたがって円も動いていきます。
(略)
 パーティーがはじまって三十分もたつと、各コーナーを占めていた実力者の円は、次第に会場の中心を目指します。祭りの神輿がお宮をめざすように……。このとき、もちろん取り巻きも移動します。
 会場内にまんべんなく談笑の輪ができる。しかも、その輪は固定せず、ゆったりと流れる──これが理想です。したがって幹事は、顔見知りの実力者に「もう少しステージ近くへ」と耳打ちするなど、スムーズな流れを人工的に演出するのが仕事になります。

 こんな風に、多くのパーティーは楽しむ場所ではなく、様々な人間関係が蠢く、怖い怖い場所なのだ。

参考文献
伊藤整『日本文壇史11』
ノーマン・ポドーレツ『文学対アメリカ』
榎本昌治『パーティー・葬儀で男をあげる本』

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