文壇ゴシップニュース 第8号 ネタ切れなんて怖くない!

 私は売れない作家である。いや、正確に言うと、自費出版で出した小説が一冊も売れたことのない作家である。もちろん、編集者から何かを依頼されたことなど一回もない。そのように作家としては底辺に位置しながらも、ずっと心配していることがある。
 それは、もし売れっ子になったら、ネタがすぐに尽きてしまうのではないか、ということだ。何しろ流行作家というのは、同時に十本以上の連載をもち、ひと月に原稿用紙五百枚~六百枚、中には千枚以上書いた作家もいるという(逆に、リリー・フランキーのように数年に渡って休載したり、井上ひさしのように失踪して新聞沙汰になった売れっ子もいるが)。万が一私がそんな立場におかれたら、一週間も経たずして書くことがなくなり、その場で廃業を宣言するだろう。また、流行作家でなくても、長く書き続けていればいずれは同じ悩みに直面する。かつて同人雑誌が花盛りだった頃は、そこに書きすぎて、「文壇に迎えられた時分には、もうカスカスになっちゃっているという現象が」あったと、『座談会 昭和文壇史』で野口冨士男は語っている。
 だが、毎日新聞やサンデー毎日の記者・編集者として活躍した辻平一の『文芸記者三十年』という自伝を読んだら、そんなことは気にしなくても大丈夫だということがわかった。次に引用するのは、辻がサンデー毎日特別号の編集会議に出席し、新人を推薦した際、同僚から言われたことである。当時、サンデー毎日の本部は大阪にあった。

 「新人を推薦する気持はようわかるけどな、うちの雑誌は、北海道、九州の端、台湾、朝鮮、満州まで売れてるんだぜ。東京でいくら有望だとさわがれていても、大阪の編集者さえよう知らん作家を、九州や台湾の読者が知ってるわけがないやないか。東京から大阪、さらに九州、台湾と名前がしみ渡って、はじめて登場してもろても、ああ、あの作家か、あれのものはおもしろいと読者はとびつくのや。その時でもけっしておそうはない」
 「しかし、そんな時、その作家は特異な題材を全部投げ出して、あとは、カスばかり残っていて、同じようなものばかり書くだけですぜ」
 「ああ、それでええのや」
 この徹底した商魂には、若いわれわれも口をつぐむより仕方なかった。

 テレビなんかを見ていても、歌番組ではヒット曲ばかりが流れるし、お笑い番組では同じギャグがしつこいぐらい連発される。多くの読者や視聴者は、未知のものより、慣れ親しんだものを好むようだ。「小説現代」、「群像」で編集長を努めた大村彦次郎は、『文壇うたかた物語』で、「読者のおおくは、たとえ多少マンネリでも、読みなれたネーム・バリューのある作家のほうを好むのだ」と書いている。
 私も以前、あるカルチャー系の雑誌の編集部に有望そうな無名の新人を何人か紹介したことがあったが、編集者から言われたのは、「それはネットレベルの話だね」の一言だった。最先端のカルチャーを紹介する(と標榜している)雑誌においても、まず中身より一定以上の知名度を要求するという現実がある。無論、そうでもしないと持ち込みの量が多すぎて収拾がつかないということもあるのだろうが。
 ただ、私が常々思っていたのは、売れっ子とそうでない人の差が大きすぎるのではないかということだ。ツイッター上で毎日のように「忙しい忙しい」とつぶやく人もいれば、専業の作家・ライターで、1年に数本しか商業誌に載らない人もいる。その二つの中間地点がほとんど存在しないのだ。いくら読者が安定を求めているとしても極端すぎるのではないか。
 自身が提唱する恋愛工学を小説化した、藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』には、「女は、単に他の女とセックスできている男が好きなのだ」という文章が出てくるが、恋愛に限らず、世間はおしなべてこのような原理で回っているように思う。つまり、多くの人は独自の基準や知識を有していないため、売れ行きだけが判断材料となってしまうのだ。私も家電の知識がゼロなため、まずは価格.comのランキングやアマゾンのレビュー数を基準にしてしまう。
 インターネットの登場によって、そのような差が是正されると予測した人もいたが、実際は『AKB48とニッポンのロック』で田中雄二が言うように、「前後不覚なネットでは、目の前に見えているトップこそすべてであり」、「消費の多様化、爛熟が進むというネットの理想主義は打ち砕かれ、大が小を飲み込むブロックバスターを加速化させた」。
 こうして、売れっ子とそうでない人の差は開き続ける。もしかしたら、「忙しい忙しい」とわざわざ呟いている人は、自分が売れっ子であること演出しているのかもしれない。少なくとも「仕事がない」と呟いている人よりかは、はるかに依頼が来やすいだろう。
 編集者はこのような流れに抵抗するため、まずは私みたいに売れていない(というか売れたことがない)人間に執筆の依頼してみたらどうだろうか。もちろん、売れっ子になった暁には、同じことを何百回と書き続けるから安心してほしい。

参考文献
野口冨士男編『座談会 昭和文壇史』
辻平一『文芸記者三十年』
大村彦次郎『文壇うたかた物語』
藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』
田中雄二『AKB48とニッポンのロック』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?