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西洋美術雑感 26:カルロ・クリヴェッリ「受胎告知」

カルロ・クリヴェッリはルネサンス盛期の始まり、あるいはルネサンス初期の終わりに位置する画家で、この人の絵も独特である。その後のラファエロで完成するイタリアルネサンスへ通じていると言えないことは無いのだが、自分としては、そこからだいぶ外れているように感じられる。
 
本来なら、クリヴェッリの描く、非常に冷たく、気高い感じの独特な女性の顔が登場する数々の絵を出したいところだが、ここではこの絵を選んだ。
 
この絵を見ていちばん最初に感じるのが、この厳密に製図のように描かれた透視図法、すなわち遠近法ではあるまいか。主題は受胎告知で、天使がいて、聖人がいて、マリアがいて、ギャラリーがいて、鳥がいて、と、生き物たちはここそこにいるけれど、それを容れている容器は厳格な透視図法で描かれ、それら生き物や物語は完全にその檻に捕らえられているがごとくに描かれている。
 
言うまでもなく、透視図法というのは、幾何学であって数学である。いま現代の僕らなら、ごく自然にそれを宇宙の秩序と感じることもあるだろう。しかしそれは、その後、その数学が天文学と結びつき、発展し、物理学が宇宙を記述するようになった現代に当たり前のように住んでいるから、そう感じるのであって、まだ、そのような常識の無いこの時代では、この数学的秩序すなわち遠近法というのは、ひとつの一種の背徳に近い意味を持ち得たのではないか、と想像する。
 
現に僕らは、宗教裁判によって地動説を唱えたガリレオが有罪とされたことも知っている。
 
この遠近法は、前に紹介した前期ルネサンスのパウロ・ウッチェロが導入したころがその走りだったのだが、その後の前期ルネサンスの絵画を見ると、ほとんどまたたく間というほど絵画に浸透して、みながこの遠近法を使い出す。そして、それが高じるあまり、このクリヴェッリや、前にも出したピエロ・デラ・フランチェスカのキリストの鞭打ちのように、極端に幾何学図法を強調した絵がいくつも現れる。
 
言ってみれば、宗教感情や世界の真実より、幾何学が、人間の目に与える視覚的な感覚の方が重要度で上回った、ともいえるわけで、少なくともこのクリヴェッリのこの絵を見ると、それら二つの相異なるものは絵の中で並列に提示されている、という風に見える。その後、ルネサンス盛期を経て西洋美術の遠近法は徐々にこなれていって、透視図法をこれでもかと強調することはあまり無くなり、じょじょに人間的物語と遠近法は融和して行くことになる。
 
しかしこのクリヴェッリの絵はあまりに厳密なので、おそらくこの一枚の絵を数学的に解析すれば、この街並みが3次元的に再現できるだろう。イニシエーションの光線は空にあるUFOみたいなところから発せられているけれど、あのUFOがどこにホーバーしているかも分かるだろう。それから彼の絵のその細部の描写の細密ぶりは徹底していて、これはイタリアルネサンスよりは北方ルネサンスを思わせる。
 
マリアに受胎を告げる天使ガブリエルは聖人と一緒に外の通りにいて、マリアと別の空間にあるが、これはかなり珍しい舞台設定である。鉄格子のついた窓が間にあるので、そこからマリアに告げようというのだろうか。
 
ちなみに、道の手前に林檎とキュウリが転がっているが、クリヴェッリの聖母子の絵にはほぼ必ず描かれる定番フルーツである。もちろん定説的に、林檎は禁断の木の実としての原罪を、キュウリは復活と贖罪を意味する、と言われるものの、厳格な遠近法を始め、彼の絵に現れているあまりといえばあまりのさまざまの背徳的な要素を見てしまうと、それら小道具がダブルミーニング的に、なにか怪しい別の世界を暗示して見えてしまうのは、これは自分が特別にそのようなものに惹かれるからであろうが、それにしても奇妙である。

Carlo Crivelli, "The Annunciation, with Saint Emidius", 1486, Oil on wood transferred to canvas, National Gallery, London, UK


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