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西洋美術雑感 27:アルチンボルド「水」

真面目で深刻な宗教画や、意味深な神話の場面や、多義的で怪しげな絵画や、やたらとドラマチックな劇や、宗教や神話にかこつけてやたら裸体を描いてみたり、とか、さまざまに展開する西洋古典絵画だが、その中で破格におちゃめなのがこのアルチンボルドの肖像である。
 
ここではその中で「水」を取り上げたが、水棲の海鮮物が集まって人の横顔になっているわけだ。
 
このような肖像を彼は何十点も描いていて、それぞれ、果物、野菜、木々、動物、鳥、花、本、道具、などなどを複雑に組み合わせて描いた肖像がたくさんある。ここで海鮮物を選んだのは、僕は日本人なんで、これがなんだか特においしそうだからなだけで、他意はない。
 
アルチンボルドは時代的にはルネサンス盛期が過ぎた後のマニエリスムと言われる時期の絵に相当する。マニエリスムは語源的には「様式」を意味するマニエラというイタリア語から来ていて、現在のマンネリという言葉はここから来ている。ルネサンス後期の絵がさらに誇張されて形式化した絵画と言われる。その文脈を持ってして、このアルチンボルドも誇張と珍奇を求めるマニエリスムの画家とされたりするのだが、そういう美術史上の話はつまらないので、聞き流していい。
 
学者によっては、画家が何の目的でこのようなだまし絵を描いたのか分からない、ひょっとして画家の精神錯乱のせいではないか、とか下らない論争もあるらしいが、ご苦労なことである。それより、アルチンボルドのこの抜群に面白い数々の絵を見て喜んでいる方がどんなにか、いい。現に、彼の絵は、のちのシュールレアリストたちに賞賛され、人気になるのである。
 
アルチンボルドは当時、宮廷画家であり、きちんとした技術を持った画家である。それはこの絵の静物画としての表現力を見ても分かることだろう。彼が仕えた王達は、この彼の、あの手この手のだまし絵をたいそう喜んだそうで、そして周りの人々の評判にもなったらしく、彼もリクエストをだいぶ受けて、それでたくさん描いたのであろう。
 
珍しいもの、変なもの、グロテスクなもの、笑えるもの、怖いもの、気持ち悪いもの、といった、いわゆる正統派の高尚な芸術から外れる感覚を持つものは、どうしてもキワモノとして正統な研究には乗りにくい。正統な研究者たちは、すぐに、それを捕まえて「何故、そんな役に立たない変なものを作るのか」と詮索を始めるからである。あたかも、宗教感情を喚起したり、記録として貴重だったりする芸術作品は役に立つので問題が無いが、面白いだけの作品は役に立たず価値が低い、といわれのない差別をしているがごとくである。
 
しかし、古今東西、人間にはほとんど本能的に、珍奇なものを求める心があるのであり、そんなことは当たり前のことだ。現代のように娯楽で溢れているのと違い、古い時代には娯楽が少なく、変なものも少ないので、おそらく、珍奇を求める心の強さは、いま現代のそれに慣れてしまっている僕らが感じるより、はるかに大きかったのではないかと想像するのだがどうだろうか。
 
ちなみに、日本の江戸時代の歌川国芳の浮世絵にも、男の裸を組み合わせて顔を作った有名な版画が残っている。これはアルチンボルドより何百年も後の時代で、江戸の出島に、アルチンボルドの版画かなんかが伝わって、それを国芳が見て、こりゃあおもしれえ、となったのかもしれない。ヘンな物趣味は古今東西みな、変わらない。

Giuseppe Arcimboldo, "Water", 1566, Oil on panel, Kunsthistorisches Museum Vienna, Austria



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