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「文化の森」を作りたい。

この春、『おやまだ文化の森』というお店をオープンします。
三重県四日市市の小山田地区にある、町の美術館だった「小山田美術館」という建物と敷地を昨年12月に購入し、現在4月1日(金)のオープンに向けて準備を進めています。購入に至るまで、この場所の歴史、文化の森のこと…。今日に至るまでの背景を話すとつい長くなってしまうので、noteにまとめることにしました。少し長くなりますが、

「へぇ〜。」
「そうなんや、頑張ってるんやな。」

そんな程度の感覚で全然構わないので、最後まで読んで頂けるととても嬉しいです。

1.自己紹介

その前に、改めて自己紹介。

私は1987年に三重県四日市市で生まれ、今年で35歳。就職を機に20歳で三重県を出て、名古屋で暮らすことに。東京まで出る度胸は無いけど、都会に憧れを抱いていた自分にとって、三重県から近い名古屋という選択肢はかなり好都合で、とにかく田舎から出たい一心でした。洋服が好きだったので、18歳からビンテージ古着屋さんでアルバイトを始め、その後セレクトショップを約10年ほどいくつかのお店を販売員として渡り歩いた後、メーカーの営業マンを約4年ほど経験しました。妻とはこの名古屋でのアパレル時代に出会っています。この間、名古屋での生活は計約12年くらいでしょうか。アパレルスタッフを離れてからは、短い期間でしたが飲食店で働かせてもらった事もありました。

写真を本格的に始めたのは、長女が妻のお腹にいるとわかった頃。今から約6年前になります。それまではコンデジで、ちょこちょこ撮る。ちょっと行ったカフェで撮る…、そんな程度でしたが、我が子という被写体が出来たことは自分の中でも大きく、写真欲は当然のごとく日々増えていきました。何より、写真とカメラとの出会いは、過ぎる時間の尊さだったり、陽が射す光の美しさ、四季の儚さ…、話せば尽きませんが、日常に新しい豊かさと幸せをもたらせてくれて、人との新しい交友関係もぐっと増えました。

写真家として独立したのが昨年の4月。それまでは会社員勤めでしたが、平日は出社し、休日の土日は依頼があった撮影仕事をする。そんな日々を2年ほど送り、当初は無料でやっていたこともありました。本気といえど、趣味で始めたことだったので、今まで無かったものになかなか値段を付けることができず、モヤっとしながら撮影していた時期は長かったように思います。そうは言いつつ、写真を撮るのはやっぱり楽しく、自分の家族を撮ることでカメラを始めましたが、被写体は誰であろうと、依頼をくれた人が喜んでくれることは普通に嬉しくて、ずっと続けていきたいと思うようになりました。会社員を辞めフリーランスになった当初も今も変わらず、金銭的な不安は当然ながらありますが、スタートを切って早や1年が経とうとしていて、ジタバタしながらも、なんとかかんとかやっている今日です。

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2.小山田美術館について

自己紹介をだらだらしても仕方ないので、この辺りで本題へ。『おやまだ文化の森』とはなんぞや?という感じですが、先ずは背景から話していこうと思います。

今、私が暮らす四日市市山田町という町ですが、このあたり一帯は小山田地区と呼びます。近鉄四日市駅より車で約20分〜30分ほどに位置し、昔から伊勢茶を栽培する茶畑が盛んな農業地。妻の故郷でもあり、私たち家族は妻の両親宅の隣に家を構え、暮らしています。小山田の現在の人口は約1,500人、小学校は1クラスしかなく、空き家がとにかく多い。決して、〝活気がある町〟といえるような場所ではありませんが、田園風景で広く抜ける景観や、どこか古く懐かしい町並み、四季の移ろいなど、静かなこの小山田の環境でこそ気が付ける瞬間がたくさんあって、ここに住んで良かったなぁと、私は毎日のように感じています。

そんな小山田に、私たち家族(特に私)が大好きだった、小山田美術館という施設がありました。実はその昔、この町の役場だったのですが、今から約30年以上前に美術館へと生まれ変わったのです。美術館からは、同じ町内にある社会福祉法人「青山里会」が所有と運営をされており、主に施設に入居される方々の絵画作品展示を行ったり、または町民の方が描いた絵画や焼き物、染め物などの作品を展示したりする、町の文化発信として愛された場所でしたが、2年ほど前に閉館。ここ数年のあいだ空っぽの状態となっておりました。また、実は一番私が思い入れがあったのは、この美術館の隣に構える通称『記念会館』という日本建築の平家建物。歴史を辿ると、元々は大正時代、四日市港方面にある『尾上別荘』という場所にあった建物でしたが、当時の青山里会の会長川村氏が購入し、この小山田美術館敷地内へ移築。話によると、町の引退した元大工さんを集めたりして、新たに建設をされたそうです。

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私は建築物に関しては無知ですが、今は無き技術と素材で作られたこの家は、手作りの温かさを随所に感じ、何よりこの小山田の土地にとても合う情景となっていて、町のシンボルと言っても大袈裟ではない存在でした。私たちが遊びに行っていた際はよく無料開放しており、春になると庭園のソメイヨシノ桜が咲き、敷地全体が桜一色になり、まるで楽園のような素晴らしい風景となります。

「いつか、この場所で何かやりたいな」

そんな想いをぼんやり抱き始めた頃、小山田美術館が閉館という知らせが入ります。もしかすると、取り壊しもあるかも…。と、頭を過ぎりました。まだ私はその時独立もしていなかったのですが、衝動的に、持ち主である青山里会さんに手紙を書き、すぐに送りました。家族が寝静まった後、夜な夜な便箋に書いたのを今でもよく覚えています。駄目元の気持ち半分、もしかすると…、という期待の気持ち半分でしたが、まだ何者でもない自分に、快く会って話しを聞いて下さった青山里会さんには今でも本当に感謝しています。ただ、そう簡単にすぐ話しが上手く進むことはなかったので、一旦、「記念会館だけでも、掃除するので撮影で使用させて欲しい」とお願いし、妻、義母、長女、家族総勢で掃除を重ね、なんとかスタジオとしてテスト利用ができることに。長く閉じていた状態だったので、とにかく最初はホコリが凄かった…。そんな風に、私たち家族としても少しずつ愛着が湧いていきました。

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掃除が一段落して縁側で休憩。写真は妻。

実は美術館が町の役場だった頃、義理の母と父がこの場所で婚姻届を出した思い出があったそうです。二人にとっても、この場所には特別な想いがきっとあるのだろうなぁと思います。

そんなこんなで話し合いを重ね、昨年12月に無事引き渡し。物事が進むにつれ、不安も大きくなりましたが、とにかくこの場所を残し、かつ自分が使用できることが嬉しかったです。余計な使命感に狩られて、勢いだけで進むのは危険だと自負しているのですが、それ以上にこの場所に愛着があって、いつかはお店を構えたいという夢も以前からありました。いつしか気が付いた頃には、この場所でしか考えられない。という気持ちに固まっていました。

3.おやまだ文化の森

ようやくですが、これからのことについてです。と言いつつも、半分決まっていて、半分決まっていないような状態です。まずは決まっていることについて、書いていきます。

1 . 私の写真スタジオ(月乃写真室)

旧美術館の1階のメインホールが私の写真スタジオになります。また、作業場、事務所としても機能させるので、外に出掛けること以外、私は基本ここに居るという状態にしたいと思っています。これから壁面の壁紙を剥がし、白く漆喰で塗ったりして、もう少しスタジオらしく仕上げる予定です。予算の問題もありますし、基本はあるものをなるべく利用しながら、スモールスタートを切るというスタンスで、業者には依頼せず、自分と、協力してくれる仲間だけで改装作業をコツコツ行なっています。そもそもですが、このままの雰囲気をなるだけ残したい気持ちも大きいので、結果的に理に叶ってる気もしています。ここでシンプルな家族写真を撮影したり、商品撮影をしたり、撮影らしい撮影はなんでも出来るような場所にできたらと思っています。

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2 . ギャラリー運営(ギャラリーたね)

さすがに美術館とあって、展示を行う環境は凄く整っています。2階は特にですが、ギャラリースペースとして贅沢な空間が綺麗に残っており、照明もしっかり生きていました。過去に2階の展示を家族で見にきたことがあったのですが、とても良い思い出です。(あの時見た、四日市の風景を水彩画で描いた絵が忘れられない…。)

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ここはこのまま残し、照明の電球を少々変更するのと、壁を上から塗って、ある程度キレイにしてあげる程度で十分かと思っています。ギャラリーの名前は「ギャラリーたね」という名前に決めました。ここで種を蒔いた出来事が、いつか芽を出してくれますようにと、そんな想いを込めました。写真展示や絵画などは当然ですが、作品だけでなく、作家さんの商品販売イベントなどもできたらいいなぁと考えています。

3 . レンタルスタジオ運営(haname) 

そして最後に記念会館です。ここは悩んでいた部分でしたが、レンタルスタジオとしての利用に決めました。これまでは当然、私と妻しか使用していなかったのですが、古い建物は毎日使用することで、一番の栄養になると知ったからです。昔の木造建築は、木に湿気が溜まらないよう、あえて風が通るように作られています。その分、冬は極寒ですが、夏は心地良い。そして30畳ある広間の空間は、なんともいえない開放感があります。

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自分たちだけで使用するのは勿体無いし、毎日空けることは現実的に難しい。そして庭園の手入れ、補修など、建物の維持費を払るにはどうすれば…。そう考えていたら、自分たち以外の人にもシェアして利用できる場所にする、という一択になっていきました。撮影スタジオとしてはもちろん、ヨガや着付け、茶道、作家さんのワークショップ、いずれは結婚式など…、たくさんの人が出会い、時に学び、感動したり、笑顔になれる。そんな物事の風景がここで起きる、私の頭の中はそのイメージで一杯となっていきました。もちろん、私が撮影で使用することも考えております。ここで撮る家族写真、すごく良いんです。

実は旧美術館の建物も、私のスタジオ以外に計4箇所のスペース空間があり、それらも同様のスタンスで、テナント貸しとしてどなたかのお店に入ってもらう予定です。つまり、上記で述べた3つのポイントが決まっていることになり、今述べたテナント貸し利用が、まだ空き状態で決まっていないことになります。最終形態としては、複合施設のようなイメージのお店にさせたいと考えております。

4.これからについて

では、この『おやまだ文化の森』をどんな場所にしたいか?という点です。そこは、今後テナントを利用する方へも知ってもらいたい部分でもあります。そもそも、「何の為に自分はお店をやりたいのだろう?」と、何度も考えました。もちろん家族と生活の為だし、家と仕事場はやっぱり分けたいし、将来的に、〝自分の箱〟と言える場所があった方が良いよな…。とか、様々あります。全部、理由の一つだと胸を張って言えます。

そこで、ちょっと脱線するのですが…
若い頃に夢中になったものって、何でしたか?

私の答えは、〝ファッション〟なんです。

私はこの小山田の風景や空気感とさほど遠くない、割と山に近い位置にあたる同じ四日市の田舎町で生まれました。小学校まで歩いて40分くらいかかったり、高校までは自転車が2台いるほど遠かったり、当時はインターネットを見る手段が今ほど簡単ではなかったので、何をするのも不便でした。実家が自営業でもあったので、このままやりたいことが見つからず、家業を継ぐのか、無難に周りの皆んなと整列するように就活するのかなぁ、なんて、漠然と、中学を卒業する頃はそう思っていました。

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美術館の時代、受付として使用されていたカウンター。

部活も勉強も、頑張っても頑張りきれず、何をやっても中途半端だった自分でしたが、高校1年だったある日、2つ歳上の姉が買ってきて部屋に置いてあったファッション雑誌をめくります。確か女性誌の東京ストリートスナップ特集か何かだったのですが、とてもワクワクして、それから食い入るように何冊も見ていたのを覚えています。「都会に行くと、こんな世界があるんだ」なんて、田舎者の私は、その世界がとても輝いていて、何より自由で格好良く見えました。居ても立っても居られず、部活も退部し、そこから洋服を買う為、都会へ遊びに行く為に、アルバイトを始めました。当時はビンテージ古着と、いわゆるDCブランドを組み合わせて着るスタイルが流行っていて、古着屋とセレクトショップを調べ巡る日々。高校⇄バイト⇄服屋を行ったり来たりして、その中でも、とにかく高校生活が退屈でたまらなかった記憶が鮮明にあります。そしてそんなモチベーションで通っていたので、当時は相当に生意気だったと思います…。
その現実から逃げるように、毎週のように洋服屋さんへ行っていました。時には学校が終わってから電車を乗り継いでわざわざ行ったこともありました。そうすると、よく来るお店には店員さんが声を掛けてくれます。

「お兄さん、いくつなん?」

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当時通っていた大好きな四日市の古着屋の店員さんは、そこから今でもずっと親交があり、年は9つ年上で離れているけど、親友と呼べる大切な友人です。彼に限らず、よく行く洋服屋の店員さんは本当にたくさん話しをしてくれて、もちろん仕事だからも当然なのですが、特に個人で経営しているお店の人は、業界のことだったり、プライベートなこと、悩みの相談…。まるで親戚のお兄ちゃんのような間柄で親しく話してくれるのです。時には間違っていることに対して、怒られたことも何度もありました。

特に古着屋さんで聞かせてもらうアメリカでの商品買い付けの話しなんて、目から鱗でした。親戚のおっちゃんが話す海外旅行の土産話とは雲泥の差です…。そこには、ただボーっと田舎で過ごしていたら、決して出会うことの無い世界が広がっていたのです。自由で、こんな生き方があるのか。なんて、行く先々で出会うお店と人に影響を受ける日々。「好きなことで生きている人ってなんか格好良い」とか思い始めたのもこの辺りです。影の苦労はもちろんあるのは当時学生だった自分にも、かろうじてわかっていましたが、とにかく輝いて見えていたのです。いつからか、「自分もそうなりたいな」なんて、当時はまだ漠然とでしたが、そう感じていました。何の取り柄の無かった自分に、いつの日からか、唯一の夢中になれることが見つかり、自分に何だか自信が付いたような気持ちになったことを、今でもよく覚えています。

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少し長かったですが、話しを戻します。そんなこんなで私は、洋服以外にまた新たに夢中になれることが見つかった今、写真家としてお店を作る準備を進めています。

とにかく、私は今が楽しい。先の不安もありますが、でもその一言に尽きます。自分に何もなかったあの時、お店とそこに居た人たちが、これまで出会わなかった文化に触れさせてくれて、狭く苦しかった自分の人生は大きく切り開いた。そう思っています。写真を撮ることに出会えたのも、学生の頃の経験によって、好奇心に飛び込みそれに没頭することで、新しく広がる世界があることを知っていたからだと思います。なので田舎には、当時の自分のような同じ苦しみを持ち、救われる人、救われる子どもたちがもっといるのではないだろうか?と、いつしかそう考えるようになりました。

今、私の住んでいる町を見渡すと、大型のショッピングモールやドラッグストアなど、いわゆる大手企業の全国チェーン店が続々と進出しています。町の人たちの生活は便利になるので喜ばしい反面、果たしてこれ以上の便利さは必要なのか?と問いたくなってしまいます。美しかった田園地帯の風景にコンクリートを埋め、静かな夜に必要以上な照明を照らし続ける。そんなものに、全く愛を感じないです。
全国展開のお店が、既に間に合っているにも関わらずまた近くにできて、競合店がひしめき合う…みたいな光景は、決して珍しくありません。私が学生の頃、熱狂して夢中になり入り浸った、その地に根付こうと頑張っている個人商店。現在はあの時ほど減少していて、それはやっぱり寂しいなと思います。

私が地元で尊敬している、子どもの本専門店メリーゴーランドの店主増田さんの自著で、「子どもは本を待っている」という好きな言葉があって、これは本だけでなく、別の様々な物事にも言い換えれるなと思っています。まだまだ自分は未熟だし、写真家としての圧倒的な自信は到底ありませんが、好きなことを思いっきり表現し、真剣に遊び、そこに来た人が、新しい文化と人に出会える場所を作るということは、自分だったらその一任ができる。少なくとも、そう思うことができました。
その土地にきちんと根付きながら、文化を発信する為にたくさんの人々が集合できる場所。なので、『おやまだ文化の森』と名付けました。

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さいごに

おやまだ文化の森は4/1(金)オープンに向けて少しずつですが、着々と動いています。オープンから約1ヶ月、2階ギャラリーたねでの写真展も企画しており、日替わりで飲食店さんにもいくつか入って頂ける予定です。小さなスタートを切ることになりますが、温かく見守って頂いたり、応援して頂けると嬉しいです。

また、これまで述べたように、空き部屋テナントも募集しているのと、レンタルスタジオも4月より利用を開始します。オープンを迎えるまで、「テナントを見学させてほしい」「レンタルスタジオの雰囲気が見たい」など、大歓迎です。その際はアポイント制になりますので、お気軽にメッセージください。また、テナント募集につきましては、上記で述べた私のスタンスや方向性に共感頂けたり、同じではなくとも、近い志を持った方のみ、ご連絡頂けたら幸いです。
そして肝心な本業の撮影仕事ですが、お店がオープンすることで出張での撮影だったりは可能不可能な範囲も生まれてきますが、是非その際はご相談ください。

本当に最後になりますが、一人でも多く方に知って頂き、足を運んで頂きたいと思っております。是非とも、応援頂ける方は記事のシェアも頂けると、ほんとにほんとに嬉しいです。何卒、宜しくお願いします。

それではオープンまで、お楽しみに!

林 謙助

おやまだ文化の森
三重県四日市市山田町1901-1

月乃写真室ウェブサイト

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#おやまだ文化の森 #四日市  #三重県

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