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「優しい嘘」のはなし。


「嘘も方便」とはよく言ったもので


プライベートにおいても仕事においても


ことをうまく運ぶためや、物事を穏便に済ませるためには時として「優しい嘘」も必要かもしれません。


しかし、一方で昔のあのすごい人、お釈迦様は


「どんなときも嘘はついてはいけませんよ」といい

【不妄語戒(ふもうごかい)】

という戒めの言葉を残しました。



相手のことを想うが故の嘘

相手を不快にさせたくないが故の嘘

相手を悲しませないための嘘


そのような

「相手のために」といういかにも綺麗な大義は嘘そのものを正当化します。

一方で


自分を大きく見せる嘘

自分をなにかから守るための嘘

自分本位の嘘


といった

「自分のため」という利己的な発想から生まれるそれはどこか惨めで孤独で嫌悪にも似た印象を僕たちに与えます。


少なくとも
大切な友人や愛する人というのは

嘘偽りない自分をさらけ出しながら

良いところも悪いところも認め合って

同じ時を共有してきたからこそ

特別な関係性があります。


そして、よくよく考えてみると

そんなかけがえないの人たちとの間には
「優しい嘘」すら存在しません。



本当のことを伝え合って、
それがどんなことでもお互いが理解しあえるとお互いがわかっているから

そんなものは必要ないのです。



それはつまり、逆説的に言えば


「優しい嘘」がある関係性というのは、
まだまだ信頼関係が築けていないとも言えるし

自分が相手にどう見られてるかを気にしている証とも言えます。


すると
自分が「相手のために」と思って(思い込んで)つく「優しい嘘」は

本質的には「自分を守るため」の打算的で身勝手でマスターベーション的な嘘なのかもしれません。



断りを入れておきますが
「優しい嘘」が良い悪いという議論をするつもりはないです。



かのすごい人、お釈迦様の言う「不妄語戒(ふもうごかい)」は、

単に「嘘をつくな」という戒めよりも、

素直、シンプルが1番なのです、という

この生きづらい世の中をいかに生き
どうシンプルに過ごしていくかという問いへのヒントなのかもしれません。

なんか坊さんみたいなこと言ってしまいました。
すみません。



でもさでもさ、どんな関係においても

いちいち言う必要のないこととかもあるよね...

でもそゆのに限って後から知っちゃったり気付かれちゃったりしてして

傷ついたり傷つけたりするんだよね...

言わないことは隠すこと?
どうなん?どうなん?


んで、結局、優しい嘘ってなんなのー??
教えて偉い人ーー!!


僕のカッコいい大人像を探す旅はまだまだ続きます。

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