正義の天才VS悪の天才!世界最強ハッカーを捕まえた日本人ハッカー🌈
近年急増している『ハッカー(クラッカー)犯罪』。
システムやネットワークの脆弱性(システムの安全性が損なわれている状態)を利用し、システムへのアクセス権を不正に取得するのが『ハッキング(クラッキング)』です。
ハッキングによって、私たちは、毎年数兆ドルもの損失を被っています。
しかし、これは、今に始まったことではありません。
1982年に北米防空総指令部(NORAD)をハッキングした、1人のハッカーが、若者たちに大きな影響を与えたと言われています。
それが、アメリカのサイバー犯罪者『ケビン・ミトニック』。
「世界で最も有名なハッカー」と称される男です。
彼は、10代からハッキング行為を行い、1989年には、アメリカを代表するコンピュータメーカー『DEC(Digital Equipment Corporation)』のネットワークのハッキングに成功。
同社のソフトウェアのコピーに成功します。
当時、DECは、大手コンピュータメーカーであったため、ミトニックはこのハッキング行為によって一躍有名になります。
しかし、ほどなくして、彼は逮捕され、有罪判決を受けます。
その後、条件付きの保釈期間中、今度は、Pacific Bellの音声メールシステムをハッキング。
この事件で、ミトニックに逮捕状が出されましたが、彼は逃亡を図り、2年以上もの間、身を隠し続けました。
そこで、アメリカのFBIは、ある日本人に彼のハッキングを依頼します。
その人物が、物理学者でコンピュータセキュリティ専門家の『下村努』さんです。
ミトニックは、その情報を聞きつけ、大胆にも、下村さんの自宅のコンピュータに侵入し、プログラムを略奪。
さらに、彼をあざ笑うボイスメッセージまで残したんです。
プライドを傷つけられた下村さんは、研究そっちのけで、彼の追跡に専念します。
ハッカー対ホワイトハッカーの対決です。
下村さんは、ミトニックがどこから接続しているのかを遡り、最終的にノースカロライナ州ローリーの電話会社の交換所に辿り着きます。
実際に現地へ飛び、周波数探知アンテナを持って市内を回り、ケビンが使用している携帯モデムを特定。
1995年2月15日、下村さんとともに張り込みを続けていたFBIによって、ミトニックは無事逮捕されました。
ローリー市の裁判所で下村さんと初めて対面したミトニックは、このように語っています。
「君の技術には脱帽した」
この2人の戦いは、世界中で話題になり、2000年に『ザ・ハッカー』というタイトルで映画化もされました。
ちなみに、この映画には、ミトニック本人も出演しています。
逮捕されたミトニックは有罪判決を受け、5年間服役後、FBIの捜査官になりました。
ミトニックは、ハッキングキャリア全体を通して、取得したアクセス権やデータの悪用はゼロ。
彼は、ハッキング行為が可能であることを証明するために、ハッキングを行っていたようです。
この世紀の戦いが、良くも悪くも、その後のハッカーの歴史に大きな影響を与えたことは間違いなさそうです😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈