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日本最大の前方後円墳!ギザのピラミッドより大きい大山古墳の謎🌈

3世紀から7世紀の約400年間、大王や王(豪族)が亡くなる度に、土と石を使って大きな墓を造っていました。

この墓を『古墳』と呼び、造っていた時代を『古墳時代』と呼びます。

全国に16万基以上あると言われている『古墳』。

その中で最も大きい古墳が大阪府堺市にある『大山古墳(大仙陵古墳)』です。

墳丘の長さは、486メートル。

これは、エジプトの『ギザのピラミッド』や中国の『秦の始皇帝陵』よりも大きく、『世界三大墳墓』の一つに数えられています。

日本が世界に誇る文化遺産の一つです。


一基造るのに、1日最大2,000人が働いても15年以上はかかると言われている『古墳』。

大山古墳は、東アジア世界に進出した『倭の五王(わのごおう)』の中の一人が葬られている墓とされており、古代史を解明する上でとても重要な文化遺産です。

<倭の五王とは?>
60年続いた中国南朝の宋について書かれた歴史書『宋書』に登場する5人の倭国の王。
讃・珍・済・興・武のことを指す。

現在、宮内庁で管理されているため、中へ入ることはできませんが、世界的に見ても非常に謎の多い古墳なんです。

それ故、その歴史を紐解く行為は『タブー』とされています。

葬られている人物の歴史については諸説ありますが、仁徳元年(313年)1月3日に即位し、仁徳87年(399年)に崩御した第16代天皇『仁徳天皇』ではないかと伝えられており、諱(本名)は『大鷦鷯(おおさざき)』という人物。

そのため、日本では『仁徳天皇陵古墳』とも呼ばれています。

仁徳という名前は、8世紀頃につけられた『諡(おくりな)』。

諡とは、死後に与えられる称号のことです。

同じ時代に書かれた中国の歴史書『宋書』には「倭の五王」が記されていますが、その最初に記されている『讃(さん)』という人物が、この仁徳天皇ではないかと言われています。

讃は、永初2年(421年)に宋の南朝に朝貢し、倭国王に初めて任命された人物。

邪馬台国の時代から約150年間途絶えていた日中の国交を回復し、それを柱に東アジアとの外交を展開した国際派の大王だったと言われています。

そこから一体、どのような経緯で歴史が作られたのかは未だに分かっておらず、現在も謎に包まれたままです。


ほとんど記述が残されていない空白の4世紀。

「日本の歴史は、古墳にあり」

世界でも、日本の150年間の歴史を知るためには、古墳の謎を解くしかないと言われています。

タブーと言われている古墳の謎を解明し、そこから紐解いていくと、日本の真の歴史に辿り着けるかもしれませんね😌

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
 

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