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中央公論「生きづらい現代にこそ知りたい親鸞の教え」

 会社員時代の読み物と言えば、新聞の経済欄や経済雑誌、最近売れている小説が多かったように思います。
 定年退職し、5年近くが過ぎて振り返ると、ずっと読んでみたかった古典や、学生時代に途中で読むのをやめてしまった小説を、紐解いています。
 それから、改めて気がついたのですが、雑誌は、「中央公論」や「世界」の中から関心のある記事を、図書館に行き、バックナンバーを含めて、読み出していました。
 私は、自分なりに理解を深め、記憶に留めておきたい記事を、NOTEに投稿し、フォローワーの皆様と共有できたらと思いました。

中央公論の令和5年9月号に、信仰なき時代の仏教という企画で、真宗興生派慈泉寺僧侶の片岡妙晶さんが書かれた記事で、「生きづらい現代にこそ知りたい親鸞の教え」がありました。


「布教使」という仕事

 寺に住み込む「僧侶」でなく、いろいろなところに教えを広めていく「布教使」という仕事があります。
 片岡さんは、1995年生まれの女性僧侶です。幼いころから生きづらさを抱え、それを受け止めてくれた、親鸞聖人の教えを広めたいと、この仕事を選んだそうです。
 以下が、片岡さんが、親鸞聖人の言葉で大切にしていること、僧侶として心がけていることです。

「聞即信(もんそくしん)」

 片岡さんは、人はなぜ争うのか、自分の正しさを押しつけ合うのか、そこに生きづらさを感じていました。
 人はこころを持っていて、人それぞれが違う。正解を持たないので、争いはなくならない。信心を得て聞く耳を持てば、仲直りができる。
 まず、相手の話を聞く。それが親鸞聖人の言葉の、「聞即信」。
 仲直りがなぜ必要か。人はひとりでなく、みなで生きていく存在だから。煩悩を抱えたまま生きていくから。 

「自利利他円満(じりりたえんまん)」

 片岡さんは、布教使として人に、「こうしたらよくなる」、「こうすると幸せですよ」、と説いてますが、相手に伝わらないと感じていました。
 相手から、見返りを求めず、好きになる。人のせいにせず、自分が喜べば、相手もそうしてくれることに気づく。
 他者を喜ばせるには、自分が幸せになる。そうすれば、周囲も自然と幸せになる。それが親鸞聖人の言葉の、「自利利他円満」。

「前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひと前を訪う」

 人は衰えていくのは、それだけ人の役に立ったから。役割を果たせば、人を頼り、心の底からありがとうと言う。受け取り上手になる。
 高齢者をみたら、自分がそうなったときのことを思い、自分ができる対応を取っておく。未来の自分に対する投資をしておく。
 私たちは常に前後の世代の中間の存在である。それが親鸞聖人の言葉の、
「前に生まれんものは後を導き、後に生まれんひと前を訪う」。

親鸞の教えに従い生きる

 片岡さんは、僧侶は日常のすべてを仏教の教えに従って生きているからこそ、僧侶としての存在が社会に許されると、思っているそうです。
 さまざまな教えを実践し、説き続けることで、その教えを聞いた人がふとした瞬間に実践してくれるかもしれない。それによって社会の空気が変わるかもしれない。そう信じているそうです。

 この記事を読みながら、私が幼少の頃、お坊さんが何かの法事で家に来られ、お経を唱えた後、家族の前でお話をされたことを思い出しました。
 何を話されたか、残念ながら覚えていません。でも、家族全員でお聞きし、その日は故人のことを思い出し、落ち着いた気持になったことを記憶しています。
 こういった時代だからこそ、これまで以上に、社会で僧侶という存在は求められていると思います。


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