母の死に接して
父が母の死を悼んで、生前の録音した声を聞いており、私に送ってきた。元気な頃の母の声だ。母の在りし日のことが鮮烈に蘇ってくるとともに、いまその人はいないという喪失感もやってきた。あれだけ存在感のある母が今はいない。人というのは誰しも死ぬ定めがあり、無から生起して、無にかえっていく。諸行無常。ああ、本当に無になるんだなと思うし、いま現在の浮世の戯れ事は、なんの意味があるのだろう?とさえ思えてくる。しかしながら、生きているということは、素晴らしいの一言につきる。夢のようなことだ。あらゆるものが、無から発生し、色とりどりの模様をしている。生きとし生けるもの、自然、生き物、物、この世にある全ては夢のようだ。実体がない、「空」という概念を少しだけ掴もうとしている。無から発生し、無にかえると言った。しかし、その「無」のなかに、全てがある。今まであったもの、これから俗世間に発生するもの、全ての根源が黄泉の国にはあるような気さえする。私の母もきっとそこにいる。母は旅に出た。もうそろそろ黄泉の国に着いたころかもしれない。私は母を想う。そこに母がいる。必ずいる。だから寂しくない、、、あの宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のような物語を私も、私のやり方で語らねばならない。そして死者とのつながりを再起せねばならない。母の死は、私の精神に対しての大いなる暴力だった。人が死ぬということは、切断以外の何者でもない。私は、私のやり方で、母とのつながりを復活させたい。まだまだ時間はかかる。しかし、あの愛情豊かな大好きな母は、黄泉の国にいるはずなのだ。それを確かめていきたい。
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